六本木の弊社周辺の詳しい地理を作品中にしばしば登場させる大沢在昌。
昨年12月発行の『欧亜純白』にはあまり六本木が登場しない。六本木のストリップバー「ヘブンズゲート」というのが出てくるが、架空の店だろう。読んでいても位置のイメージが浮かんではこない。
今回、六本木はあまり登場しないのだが、僕には非常に個人的に懐かしく惹き付けられる話題が盛り込まれていた。
この小説は国際的な麻薬流通を巡る陰謀とその解明がテーマで、ヘロイン、CIA、広域暴力団、中国マフィア、麻薬取締官事務所、米国の麻薬取締り機関DEAと盛り沢山の要素が組み込まれているのだが、僕が懐かしく思い、逆にほとんどの読者には記憶にも残らない名前がもう一つ加わっている。
その名前と言うのは、ヘロインの原料アヘンの産地、黄金の三角地帯と呼ばれるタイ、ミャンマー、中国の国境地帯に住み、イギリスの植民地戦略の中でアヘン生産のためにケシの栽培に利用され、現在にいたるまでアヘン栽培の暮らしが続いている「ワ族」という少数民族の名前だ。
僕が懐かしく思い出すワ族は麻薬との関りではない。
発端は「仮面」だった。20年以上昔になるが、国立民族学博物館や杉浦康平さんという高名なデザイナーが関った仮面の展覧会があり、その出展された仮面の写真集を後日見返しているときに面白いものを発見した。何を発見したかというと、沖縄石垣島のアンガマと呼ばれる仮面と瓜二つの仮面があり、それはインドのムンダ族という少数民族の仮面だと言う。
その数年後、日本のコメのルーツの研究書を読む機会があった。現在はコメのルーツは長江中流域ということになっているようだが、その本では雲南の照葉樹林帯あたりに焦点が当てられ、そこを中心に南アジアの諸要素が分析されていた。
その中に南アジアの入り組んだ諸民族と言語についての記述があり、そこにあのインドのムンダ族がモン・クメール語族に属する言語を用いる民族として紹介されているではないか。
そしてその同じモン・クメール語族に
属するプーラン族という少数民族が雲南の水田地帯、西双版納(シーサンパンナ)に住み、プーアール茶の生産で名高い。ムンダ族と石垣島が少し近づいたような気がした。
その発見から間もなく幸運にも西双版納訪問の機会を得た。プーラン族の仮面が石垣島の仮面とそっくりだったらと期待したのだが、そんなに話は上手くはいかなかった。しかし、中国人通訳から耳寄りな話を聞くことができた。
古代史・文化人類学の鳥越憲三郎先生が日本人の祖先倭人のルーツを求めて西双版納を訪れ、その時にプーラン族と同じく雲南に住み、言語的にも同じモン・クメール語族に属するワ族という少数民族に注目されたのだという。倭人と同じ「ワ」というだけでなく、倭人とワ族の多くの共通性に注目されたと言うのだ。確かに西双版納では人口最多のタイ族をはじめ多くの少数民族の住居は高床式で千木を供えており、吉野ヶ里遺跡の復元や日本の神社の建築を彷彿とさせる。このワ族のワは中国では人偏に瓦という漢字を当てているが黄金の三角地帯のワ族と同族である。
当地のワ族は第二次大戦終了ごろまで首狩りの風習を残していたという。雲南の首都昆明の博物館には古代滇国時代の青銅器文化の遺物、貯貝器が展示されているが、その蓋の上に施された彫刻には供犠としての斬首の様子がリアルに表現されている。斬首刑だけでなく敵の首を取ることを誇りとする日本の武士の伝統に繋がりはしないかと思ってしまう。
このワ族の情報は一般的にいえば非常にマイナーな話題だと思う。著者もストーリーにリアリティーを持たせるために集めた資料に忠実に記載しただけで、ワ族で読者を喜ばそうとは思いもしなかったに違いない。
西双版納へは上海を発ってから昆明を経て思茅(スーマオ)まで飛行機、そこから迎えの車となるが、小説のなかにこの思茅という地名を発見しただけで、こんななんでもないことで自分ひとり得をしたような、自分だけ特別なような気がしてしまう。
西双版納の水掛け祭りの時、竜船レースで賑わう瀾滄江(ランツァンジャン・メコン川上流)の広い河川敷に、間延びしたラップのような短調な繰り返しの、恐らく伝統的な歌声がラウドスピーカーから響き渡っていた。渋谷の人ごみの中であの単調な歌が聞こえてきたら、やはり僕はひとり得をしたような感慨に耽るのだろうと思う。
(2010.6.24. h.k.)
スタッフのつぶやきトップへ