
KOIは超小型であることと超高音質が特長ですが、周りを見回すとコンパクトでハイデンシティ(高情報密度)つまり高精細な画像や高音質などを特長とする製品が目に付きます。
携帯電話や携帯型ゲーム機、電子辞書、iPodなどがポピュラーですが、もっとマイナーな用途の周辺機器でも面白いものがありそうです。
例えば「iPodにいい音をプレイさせるには2」で紹介したiPod用のユニバーサル・ドックや「TVにアナログ出力端子が無い!」のDAコンバーターなどもそうですが、ワイヤレスの伝送器としても気になるものがあります。
ケンウッドのブルートゥース式のトランスミッターとレシーバーは手の平に乗る大きさですが、リニアPCM方式でCD並みの音質で伝送できるのだということです。
例えば以前からオーディオルームに高級オーディオセットをお持ちの方が隣のリビングルームのTV用にKOI Tigerを導入されたような場合、オーディオルームの高級プレーヤーからの音をワイヤレスでリビングルームのKOIde 楽しむことができる、ということも考えられますね。
コンパクトでハイデンシティの機器類を上手く使いこなすことによって、空間をゆったりと使い、費用も比較的抑え目で、それでいて密度の高いコンテンツを楽しむ、そんなライフスタイルがスマートだというようなクオリティー・オブ・ライフのあり方が浸透していくのではないでしょうか?
すでにこれらの機器とKOIとを接続して楽しまれている方もいらっしゃると思います。いろいろな組合せのご紹介、感想などリポートいただければ幸いです。お待ちしております。
(2010.7.27. h.k.)
ちょっと前なら液晶TVにアナログの音声出力端子が付いていて、そこから単純にオーディオのアナログ 音声入力に接続すれば、TVの情けない音もちゃんとしたスピーカーでまともな音で聴けたはず。
しかし、今、ほとんどの液晶TVにアナログ音声出力端子が無くなっちゃった。デジタル出力しかない! しかもデジタル音声入力が出来る一般のオーディオは悲しい音しか出せないミニコンポの様なものばかりじゃないですか。
でも、世の中広いんですね。もしかしたら「これ使えるかも」と思われるものを発見したのです。
それには「デジタルオーディオ信号をアナログオーディオに変換」って書いてあるではないですか。それも大袈裟な装置ではなく、手のひらに納まってしまう程小さいんです。
液晶TVにS/PDIF(TOSLINKオプティカル)またはS/PDIF(コアキシャル)デジタル出力端子があれば(ほとんどのTVには付いているとの話し)TVとオーディオの間に「この物」を接続すれば、TVの音が素晴らしい音でオーデイオスピーカーから聴こえてくる、はずではないでしょうか!
「この物」とは「GTV-DIGAUD-2-AAUD」という名前です。メーカーはGefen、カリフォルニア出身です。日本ではヒビノインターサウンドから発売しているようです。 まだ試してはいないけど興味津々なんです。
このデジタル時代に頑なにアナログにこだわっているKOIにこれを使えば、デジタル一辺倒の液晶TVの音をKOIのサウンドで何倍も楽しめるかもしれないんですよ。
ご興味のある方がいたらWEBで調べてみたり、ヒビノインターサウンドに尋ねてみてはいかが。
(2010.7.26. y.s.)
Tigerユーザーの江頭勝己さんのアドバイス。
iPodのイヤホンジャックから出力するのではなく、ドックコネクターにアダプターを接続してそのLINE OUTからの出力をTigerに入力した方が、イヤホンジャックからの出力強度より大きい、通常のLINE OUT出力の強度になるし、よい音質になりますよ、とのこと。
なるほど、Universal Dock(4,800円)を用いるとステレオミニジャックのLINE OUTがあり、ここからTigerのアンプに接続することができる。このドックで電力を供給することも可能なので、TigerとiPodをBGMに用いる場合など、WAV方式で取り込んだものを使ったら、CDプレーヤーの代用になる。ドックにはリモコンも付いていて便利。
(2010.6.24. h.k.)
南米ボリビア、モホス大平原にある、ロマ・チョコラタリトという1000年以上昔の古代アマゾン文明の遺跡から、埋葬された人骨と共に鳥の骨で作られた笛が発掘された。パトと呼ばれる現在もアマゾンに棲息する巨大なコウノトリの一種、その翼の骨から作られているという。
この笛は、現在も伝統的な祭りで用いられている、ピファーノという笛と同じものらしい。1000年前の人々はどんな音、音楽を奏でていたのだろうか。この笛の持ち主も、自身はTigerの愛用者と同じようにこの笛との出会いに感動し、周りの人たちの羨望を集めていたのかもしれない。。
しかし、古代アマゾン文明といっても聞いたことがない。アステカなど古代アンデス文明、マヤなど古代メソアメリカ文明なら判るが、アマゾンといえば文明どころか狩猟採取の未開社会ではなかったのか。音楽のような文化を育む土壌はあったのだろうか。
結論を言うと、実はアマゾン全域を覆うような文明がしたらしい。石造のピラミッドや都市は無いが、非常に大規模、計画的な土木工事などエコロジカルな文明が存在した証拠がアマゾン全域に豊富に残されている。例えば運河、用水路、貯水池、人造湖など水利システムや養魚システムおよび農耕地。テレプレンと呼ばれる、水のコントロールのための堤防でもある、幅1~20メートル、高さ3~5メートルある、かさ上げされた道などが航空写真や衛星写真で確認されている。
この大規模で計画的な営みを実行するには都市型とは異質な、例えばネットワーク型というような全く別な方式ではあっても、やはり強力な組織力をもった、やはり文明と呼ぶべき活動があったことは認めざるをえないだろう。
エコロジカルということではテラプラタという、自然に増殖する農業生産性の高い不思議な人工の土壌がある、炭化物、土器粉、微生物、栄養素が豊富な黒い土でアマゾン全域に見つかるという。
そして中央アマゾンのサンタレムからはアメリカ大陸最古、7000~8000年前の土器が発見されており、この水の大陸の上でも、旧大陸での農耕が始まって以来経過した時間と同程度の時間が経過するなかで、人々は異なった自然の中で異なった文明を育んだのかもしれない。
見事な土器を残したが都市文明を残さなかった、我が縄文人の生活も、アマゾンとオーバラップしてエコロジカルな文明だったのではないかと、火炎土器で聖なる煮炊きをし、篝火の周りで笛太鼓の音に合わせて踊る姿を思い浮かべてしまった。
アマゾン文明の詳細は『アマゾン文明の研究』(実松克義著 現代書館)を参照されたい。
(2010.6.24. h.k.)
六本木の弊社周辺の詳しい地理を作品中にしばしば登場させる大沢在昌。
昨年12月発行の『欧亜純白』にはあまり六本木が登場しない。六本木のストリップバー「ヘブンズゲート」というのが出てくるが、架空の店だろう。読んでいても位置のイメージが浮かんではこない。
今回、六本木はあまり登場しないのだが、僕には非常に個人的に懐かしく惹き付けられる話題が盛り込まれていた。
この小説は国際的な麻薬流通を巡る陰謀とその解明がテーマで、ヘロイン、CIA、広域暴力団、中国マフィア、麻薬取締官事務所、米国の麻薬取締り機関DEAと盛り沢山の要素が組み込まれているのだが、僕が懐かしく思い、逆にほとんどの読者には記憶にも残らない名前がもう一つ加わっている。
その名前と言うのは、ヘロインの原料アヘンの産地、黄金の三角地帯と呼ばれるタイ、ミャンマー、中国の国境地帯に住み、イギリスの植民地戦略の中でアヘン生産のためにケシの栽培に利用され、現在にいたるまでアヘン栽培の暮らしが続いている「ワ族」という少数民族の名前だ。
僕が懐かしく思い出すワ族は麻薬との関りではない。
発端は「仮面」だった。20年以上昔になるが、国立民族学博物館や杉浦康平さんという高名なデザイナーが関った仮面の展覧会があり、その出展された仮面の写真集を後日見返しているときに面白いものを発見した。何を発見したかというと、沖縄石垣島のアンガマと呼ばれる仮面と瓜二つの仮面があり、それはインドのムンダ族という少数民族の仮面だと言う。
その数年後、日本のコメのルーツの研究書を読む機会があった。現在はコメのルーツは長江中流域ということになっているようだが、その本では雲南の照葉樹林帯あたりに焦点が当てられ、そこを中心に南アジアの諸要素が分析されていた。
その中に南アジアの入り組んだ諸民族と言語についての記述があり、そこにあのインドのムンダ族がモン・クメール語族に属する言語を用いる民族として紹介されているではないか。
そしてその同じモン・クメール語族に 属するプーラン族という少数民族が雲南の水田地帯、西双版納(シーサンパンナ)に住み、プーアール茶の生産で名高い。ムンダ族と石垣島が少し近づいたような気がした。
その発見から間もなく幸運にも西双版納訪問の機会を得た。プーラン族の仮面が石垣島の仮面とそっくりだったらと期待したのだが、そんなに話は上手くはいかなかった。しかし、中国人通訳から耳寄りな話を聞くことができた。
古代史・文化人類学の鳥越憲三郎先生が日本人の祖先倭人のルーツを求めて西双版納を訪れ、その時にプーラン族と同じく雲南に住み、言語的にも同じモン・クメール語族に属するワ族という少数民族に注目されたのだという。倭人と同じ「ワ」というだけでなく、倭人とワ族の多くの共通性に注目されたと言うのだ。確かに西双版納では人口最多のタイ族をはじめ多くの少数民族の住居は高床式で千木を供えており、吉野ヶ里遺跡の復元や日本の神社の建築を彷彿とさせる。このワ族のワは中国では人偏に瓦という漢字を当てているが黄金の三角地帯のワ族と同族である。
当地のワ族は第二次大戦終了ごろまで首狩りの風習を残していたという。雲南の首都昆明の博物館には古代滇国時代の青銅器文化の遺物、貯貝器が展示されているが、その蓋の上に施された彫刻には供犠としての斬首の様子がリアルに表現されている。斬首刑だけでなく敵の首を取ることを誇りとする日本の武士の伝統に繋がりはしないかと思ってしまう。
このワ族の情報は一般的にいえば非常にマイナーな話題だと思う。著者もストーリーにリアリティーを持たせるために集めた資料に忠実に記載しただけで、ワ族で読者を喜ばそうとは思いもしなかったに違いない。
西双版納へは上海を発ってから昆明を経て思茅(スーマオ)まで飛行機、そこから迎えの車となるが、小説のなかにこの思茅という地名を発見しただけで、こんななんでもないことで自分ひとり得をしたような、自分だけ特別なような気がしてしまう。
西双版納の水掛け祭りの時、竜船レースで賑わう瀾滄江(ランツァンジャン・メコン川上流)の広い河川敷に、間延びしたラップのような短調な繰り返しの、恐らく伝統的な歌声がラウドスピーカーから響き渡っていた。渋谷の人ごみの中であの単調な歌が聞こえてきたら、やはり僕はひとり得をしたような感慨に耽るのだろうと思う。
(2010.6.24. h.k.)
大分前から小さい小さい iPod ShuffleにCDの音を取り込んで使っているのだけれど、これが小さいのになかなかいい音がする。と言ってもポータブルプレーヤーにしちゃ頑張るじゃん、位に思っていた。
大概iPodのようなポータブルプレーヤーは、音楽などの情報を圧縮してコンパクトにしてしまってる。だから、web音楽配信のダウンロードは言うに及ばず、CDを取り込んでもやはり圧縮された音になってしまうのはしょうがない、と思っていた。
ところが、インターネットでiPodの音をより良くする方法を見つけてしまった。
そう、iTuneにはCDの情報を圧縮せずに取り込む設定があったんだ。この方法は秘密でもなんでもなく、大抵のiPod使用者の方々は知っていることだとは思うけど、実際にやってみた僕には衝撃的な出来事だった。
iPodにいい音をプレイさせるには:
CDをiTunesに取り込む前に
1.iTunes画面上方タスクバーの「編集」から「設定」をクリック
2.「一般」の中の「CDをセットしたときの動作」をクリック
3.「インポート設定」の中の「インポート方法」の「WAVエンコーダ」を選びクリック
4.直ぐ下の「オーディオCDの読み込み時にエラー訂正を使用する」にチェックを入れ、OKをクリックする
これでCDを読み込むときには圧縮無しのWAVファイルで音楽がiTunesに記録され、iPodにCDと同じ音楽情報が移すことが出来る。
ただし、情報量が多いので、読み込み時間がかかるし、iPodに入れられる曲数はかなり少なくなってしまった。まぁいい音で聴きたいのなら仕方ない事と納得。
試しに、圧縮無しの音楽が入っているはずのiPodをKOI Tigerに接続して音を出してみた。
そしたら、目から白濁した鱗が何枚も落ちてどこかに飛んでいきました。
(2010.6.7 y.s.)
沖縄県石垣島、西表島、新城島のアカマタ・クロマタ、宮古島のパーントゥ、鹿児島県トカラ列島悪石島のボゼ、甑島のトシドンなど、植物と仮面に覆われた来訪神の北の端、秋田の泣く子も黙る、というよりみんな泣き出すあのナマハゲ、民俗学ファンは泣いてよろこぶあのナマハゲだ。
六本木交差点の交番の方から飯倉に向かって高速道路下の横断歩道を渡り終わった角に二頭の怪物ナマハゲを発見したのは4月30日の夕方6時過ぎ。
5月5日のこどもの日が近いので、「悪い子はいないか~」ということかと思いながら写真を撮らせてもらったらチラシを渡された。流石は六本木、その名も「ナマハゲ」という店名の交差点近くにある秋田料理店のチラシであった。
KOIとは関係ないが、食べにコイ、飲みにコイということで・・・。
(2010.5.6. h.k.)
2月26日発売のホンダCR-Zが発売後約1ヶ月で、累計受注台数が月間販売計画(1000台)の10倍を超えたと言う。
1.5リッターのエンジンにモーターを組み合わせたハイブリッドカー。4人乗りということになっているが、「リアシートの乗車スペースには余裕がないため、正しくシートベルトを着用できない場合はリアシートには乗車しないでください。」と断り書きがあり、実質はツーシーターといっていいスポーティーなデザインの小型車である。
エコ志向の高まりの中で、スポーツカーの魅力という伝統的な自動車への憧れ、ときめきを刺激することに成功しているようだ。 デザインといい、大きさといい、いかにも若者向けの車のようであるが、ディーラーのスタッフによると、客層は二極化しており、もう一つの極は団塊の世代など子育て後の年代の人たちらしい。
若い頃に憧れながら手が出なかったスポーツカー。子離れして経済と時間に余裕ができた。あまり歳をとらない今のうちに、かといってハイパワーのスーパーカーでは高額すぎるし置き場所にも困り、とても使いこなせそうもない。そんな多くの昔の若者にCR-Zが受けているのだろう。
スポーツカーをオーディオに、スーパーカーを大型高級オーディオに書き換えると、CR-ZはKOI Tigerということになるのではないだろうか。
(2010.4.30. h.k.)
どうしたことだろう、5月5日のこどもの日が近づいたというのに六本木で鯉のぼりが見つからない。「六本木の鯉のぼり」というタイトルでここに写真を並べようと思ったのに。
六本木にタワーマンションが立っても、一般の住宅はどんどん少なくなるし、その少なくなった住宅の住人に鯉のぼりを立ててもらうような年齢のこどもがいなくなったのかもしれない。
街のデコレーションにも鯉のぼりが全く見られない。こどもの日はクリスマスのような大きなイベントではない。六本木はこども用品を売る街ではない。そもそも5月5日でなくても年中がこどもの日みたいなものだ。その辺りを考えると当然の現象なんだろう。だけどなんだか物足らない。
(2010.4.28. h.k.)
僕の傷だらけの古い携帯電話。この携帯電話をプレーヤーとしてKOI Tigerに接続してプレゼンテーションすることがある。ミニSDカードに保存した曲を聴いた方々は、こんな古い携帯を使ってなんでこんな美しい音がと驚かれる。
携帯電話は凄い。メール、インターネット、写真撮影、動画、録音、アドレス帳、スケジューリング・・・・・、と手の平に乗るような小さな品物の姿には現されない魔法のような機能で溢れている。それを考える度に、擦るだけで魔法の召使が登場する魔法のランプを思い出す。画面上のタッチで操作するiPoneなどまさに現代の魔法のランプだ。
見回してみると現代の魔法のランプは携帯電話だけではない。iPodなどその代表的なものだが、他にもたとえばビデオカメラ。デジタル時代のビデオカメラは記録媒体がコンパクトなSD/SDHCカードに代わって、TV初期の放送局の巨大なカメラと比べ物にならない、手の平サイズになってしまった。
音声の方では、ICレコーダーも手の平にスッポリ納まる大きさながら、CD並みの音質でステレオ録音ができ、楽器演奏など音楽の練習を録音したり、講義や会議の録音をして原稿起こしをしたり、CDの音をダビングして外国語の練習用や音楽プレーヤーとして用いたりできる多機能振りである。
これらの機器を結ぶ通信技術もコンパクトで精度の高いものになってきている。機器間をワイヤレスで接続するトランスミッター(発信機)とレシーバー(受信機)も赤外線やFMからノイズや断絶の少ないブルートゥースに移ってきて、10~100g位の小ささになってきている。
小さくて高機能という商品群の拡大と開発の方向性、それは知らない間にパラダイムに変更を加え、価値観を変質させつつあるように思われる。
超小型高音質スピーカーシステムKOI Tigerもこの新しいパラダイムの一角を占めている。上述の機器類はKOI Tigerにとっても発展が楽しみである。
(2010.4.22. h.k.)
坂本冬美が歌うiichikoのCM曲「また君に恋してる」が評判だという。もともと、iichikoのCMでビリー・バンバンが歌ったのを坂本冬美がカバーしたのだ。
弊社のy.s.が、この歌のタイトルと同じ「また君に恋してる」という歌詞の部分のメロディが、「ムーンチャイルド」という曲の冒頭部分とそっくりらしい。
この曲は1969年に発売され、ビートルズの「アビーロード」を1位から引き摺り下ろした、キング・クリムゾンのアルバム「クリムゾン キングの宮殿」の一曲。
確かに聴いてみると、なるほどそっくりだ、と納得。作曲家の若い頃に体験したものが引用されているのだろうか。
曲のカバーにしても引用にしても、文化というのは過去から未来へと先人の成果を踏まえながら積み重ねられていくものなのだろう。
KOIの前にも、50年以上のオーディオ技術の集積というリファレンスがある。
(2010.4.20. h.k.)
地下鉄半蔵門線清澄白河駅ホームの向かいの壁に大きく描かれているのが「鯉の丸に牡丹」。
他にも壁面にいろいろな模様が大きく描かれているが、どれも江戸小紋の模様らしい。ウィキペディアの「小紋」によれば、諸大名の裃の紋が豪華さを競うようになり、それが規制されると遠目には無地に見えるようにと模様を細かくするようになり、高度な技術を駆使した染物となったらしい。
規制逃れとして出発した小紋だが、江戸の庶民が真似るようになった段階では、根付の細かい精巧な細工を好むのと共通する、小さく凝集した模様を粋と感じる美意識と結び付いていたのだろう。以前、日本文化の特徴として、「縮み思考」ということが言われたが、盆栽なども含めて小さく凝集することによって完成するということは確かに日本人の得意とするところであると同時に、世界の新しいパラダイムとも結び付く。そしてこの高性能を凝縮した姿はKOIそのものでもある。
江戸小紋は型紙を用いて染められる。その型紙は伊勢型紙といい、三重県鈴鹿市の白子地区で作られる重要無形文化財に指定された伝統技術である。
この白子地区には鼓ヶ浦という白砂青松100選にもえらばれた海水浴場がある。「鼓ヶ浦」、音に関係しそうな名前である。「琴が浜」などの名は、鳴き砂に由来すると聞いたことがある。水が綺麗で白い砂のある浜で、歩くとキュッキュッと音がするところがあり、それを鳴き砂といい、そのような浜に琴や鼓などという名が付けられやすいという。そのような場所でも近年は水が汚れ、砂が汚れ、音が聞こえなくなる傾向にあるらしい。
中学生の時まで隣の四日市にいた僕は、この鼓ヶ浦で泳いだことがある。水が凄く透明で海底の白い砂が美しかったこと、浜の砂が陽に焼けて凄く熱かったことは覚えている。しかし、砂が鳴ったかどうかは覚えていない。残念だ。
ちなみに僕は5年生の夏休み、この浜で泳げるようになった。それまでは潜水泳法しかできなかった。当時は、水中眼鏡も無く、大きく深呼吸してから水中で目を見開いて海底の石を拾ったりして遊んでいた。ところが、その年、夏休みんぽ始めに入った鼓ヶ浦の澄み切った美しい海水は非常に塩分濃度が高く、目に染みて目を開けて潜ることができなかった。気が付いたら顔を上げ、息をしながら平泳ぎをしていた。そしてその日のうちに100m続けて泳げるようになっていた。懐かしいあの夏、どんな歌が流行っていたのか。覚えていない。
(2010.4.8. h.k.)
KOI,Inc.山本社長からのメールに池の鯉の写真が添付されていた。
池の鯉は平和でのどかな風景だが、一方今世界の海では日本の鯨、マグロ、鮫などの漁に対する制限が話題に上っている。
世界は狭くなり、漁業資源の枯渇や海洋の水質汚染が問題となってきている。漁業国日本はどうなってしまうのかと心配にもなるが、一方で近畿大学ではマグロを卵の孵化から養殖する技術の開発に成功しているようであるし、岡山理科大学では海水を用いず、陸上の水槽でマグロを淡水魚と一緒に養殖できるという。
この淡水魚と海水魚を同じ水槽で飼育するという技術は名古屋万博のアトラクションとして評判となったが、単にもの珍しいというだけでなく成長促進の効果もあるらしいし、水銀やPCB汚染の心配がない魚の生産も可能にするようだ。
海という自然から離れた人工的な実験室的な漁業生産だが、最近の工場による野菜の水耕栽培などの増加をみれば、今後大きな技術の発展と産業的な発展の可能性は大であり、日本の得意技となるのかもしれない。
思えば、かつて野山での狩猟や採取、海や川に周期的に寄せてくる魚を手づかみしたり手作りの仕掛けやせいぜい丸木舟を用いた漁で捕獲していた人類は、新石器革命と言われる時代に農業、牧畜を発明し畑や牧場という人口の空間を作って活用した。おそらく漁労も海の畑ともいうべき養殖場を作るのはずっと後のことだとしても、大型の帆船などを使ってより組織的、計画的の方法に発展したことだろう。
そして産業革命と呼ばれる機械的エネルギーを用いる時代に入り、トラクターで畑を耕したり、工業生産した化学肥料を用いて農業生産を飛躍的に向上させることもとなった。漁業もエンジン付きの大型船舶を用いた遠洋漁業が可能となった。大地や海洋に対する人類の進出、改変はよりスケールが大きく強力なものとなった。
先に述べた海洋や大地から離れた工場生産型の現在の漁業や農業の新しい動きは、新石器革命、産業革命に次ぐ第三の大きなパラダイム転換の一部であり、その象徴的な現象のような予感がする。
電子工学から情報科学というインテリジェンスの発展は、脳科学、生命科学、遺伝子工学といった人間や生物の研究にも広がり、ミクロな細胞や分子へと深まると同時に、宇宙科学の新たな発見や地球の有限性への注目というマクロな視点も加えて、研究者のレベルに留まらず、家庭の茶の間まで届く身近なものとなりつつある。
このような最新科学の集合に支えられた科学技術の変貌に、新石器革命、産業革命に次ぐ第三のものとして、ここでは取りあえず勝手に知識産業革命と名付けてタイトルにしてしまった。
KOIの超小型高音質スピーカーシステムの登場は、音響革命でありこの知識産業革命の一端を担うものだと僕は思っている。
(2010.4.6. h.k.)
黒地に赤いKOI。
展示会などへKOI tigerを出展する場合、上のような旗を用いる場合が多い。
この「黒地に赤いKOI」という色で表された内容を音に置き換えてみよう。
まず、下地の黒。黒は目に見える光が全く無い状態だから、耳に聞こえる音が全く無い状態、静寂の状態だ。
そして赤は目に見える光の色の中では最も波長が長い領域にあたるので、音で言えば耳に聞こえる空気の振動の中で最も波長が長い領域つまり重低音の領域ということになる。
KOIという目に見える文字は、耳に〔koi〕と聞こえる発音ということになる。
つまり、無音の状態の中で、低い声で〔koi〕という声が聞こえる状態である。
赤い色が、太陽や火の暖かさ、そして情熱を表す色だということも含めて、この旗の内容全体を音の世界に置き換え、静寂な世界に「恋!」という情熱的な熱い男の低い声だけが響いているのだ、ということにしておこう。
(2010.4.5. h.k.)
スタッフのつぶやきトップへ「忍夜恋曲者 将門」(しのびよる こいは くせもの まさかど)
↓
「忍夜KOI曲者 Tiger」(しのびよる KOIはくせもの Tiger)
「恋飛脚大和往来」(こいのたより やまとおうらい)
↓
「KOI飛脚六本木往来」(KOIのたより ろっぽんぎおうらい)
「恋湊博多諷」(こいみなと はかたの ひとふし)
↓
「KOI港六本木諷」(KOI みなとくろっぽんぎ ひとふし)
エイプリルフールの法螺のかわりにちょっと悪戯をしてしまいました。
(2010.4.1. h.k.)
大江戸線六本木駅のエスカレーター・階段の両側に、今SONYの「好奇心に、出会おう」というポスターが貼ってある。SONYは好奇心を満たすクリエイティブな会社だという宣伝かな?
一枚づつコピーが違っていて、「地下鉄に食堂車があったらと想像してみよう。」「みんな待ち合わせの場所に移動中という見方をしてみよう。」「降り立ったところが新大陸発見だと思って上陸しよう。」などという、好奇心というより想像力を発揮しようという呼びかけが並んでいる。
「時間が止まるってどういうことか階段を下りてから考えてみよう。」「時間を縮めたり、伸ばしたりしてみよう。」と、時間関係、「街の中にあるすべてが楽器だと思って歩いてみよう。」「耳の穴の音を聴いてみよう。」「恐竜の心臓の音が、自分の心臓の音の何倍か想像してみよう」という音関係のコピーも目を引く。
場所、移動、時間つまり時空間と音、何か意味深長な気がしてくる。
地上に出て歩きながら、「時間が止まる」を考えてみると、止まるということは動いているということだけど、動いているってどういうことだろう。時間の経過の中で位置を変えることを動くというのではないだろうか。つまり時間は動きを測定するときの尺度になっているわけだ。だとすると、時間が動くという場合、その動きは何を尺度にして動いたというのだろうか。
尺度としての時間は動かないのではないか。そうすると過去から未来へと矢のように流れる時間のイメージは何処から来るのだろう。
こう考えてもいいのだろうか。時間は動かない。そして僕たち、あるいは僕たちの世界が動かない時間の尺度の上を過去から未来へ動いているのだと。
一定速度の電車のような慣性系の中にいると自分が動いていることは実感しにくいように、時間の慣性系の中では自分自身が動いている実感は持ちにくく、その系の中の時計の針のような物質の変化を通じて時間の経過として感じるしかないのだろう。
では僕達はなぜ過去から未来という方向に一方的に動いていくのだろうか。
この世界は100億年だか200億年だか前のビッグバンで一点から誕生して膨張し続けているという。天文学者の観察から証明されるらしいが、膨張する慣性系の乗客である僕達にはその動きは実感し得ない。それと同じように時間尺度もビッグバンの時に誕生し、物質はその時から過去から未来へと、中心から外周へと広がり続けているのかもしれないな。
いつのまにかこんなことを考えさせられて、まんまとSONYの思う壺だったかもしれない。
(2010.3.29. h.k.)
一昨日の帰宅時、柴又一丁目の裏通りを帰っていると、前を猫のような生き物が2頭横切って反対側のアパートと民家の間に入っていこうとしている。猫にしてはスリムだ。イタチかなと思いつつ近づいていくと頭から鼻筋にかけてが白い。
大きい1頭が入ってしまった後、少し小さい2頭目は僕の姿を見て、アパートと塀の間に引き返してしまった。すると1頭目が入った方向から猫のような唸り声が聞こえる。ハクビシンの声は猫とそっくりだなと思いつつ除いてみると、そこには図体のでかい毛のふさふさした本物の猫がいて、こちらに向かって出てくるところだった。
2頭目が引き返したのは、僕ではなくこの猫を避けてのことだったのだろう。ふと思い立ってケータイでハクビシンの写真を撮ってやろうとしたが、なにせ19:30頃ではあるし、塀とアパートの隙間に入っていて、肉眼では白い鼻面が見えるが写真をとるには暗すぎる。
明るい方へ追い出してみたがあっという間に姿を隠してしまった。そういう訳でここに証拠写真を掲載できないのが残念。でも本当の話。ウィキペディアによれば、民家の床下や屋根裏で棲息可能だとのこと。ネコ目、ジャコウネコ科に属するという。ネコ科のTiger(KOI Tiger)と、全く縁がないではないか。
(2010.3.19. h.k.)
キーワード「music tiger」でgoogle検索をするとKOIのサイトのランクはどのくらいだろうか。
試してみると、「桑田佳祐の音楽寅さん~music tiger」ばかりで、検索ページを20ページまで捲ってみてもKOIは出てこない。
「music」を「音楽」に変えて「音楽 tiger」にしてもKOIが登場するのは、やっと15ページ目になってから。ただし、ページ下欄のキーワードには「koi tiger」が登場。
「tiger」だけで検索すると、タイガー魔法瓶やタイガー・ウッズも出てくるが、6ページ目にKOIが登場するし、下欄のキーワード「koi tiger」も登場する。
「tiger」だけより「music」を加えた方がKOI に相応しく思えたのだが判らないものである。
(2010.3.18. h.k.)
ある青年との会話
「なんで色んな事を言えるの?」と彼が意味の分からない事を言い始めた。どうも自分の言いたい事を話すことが難しい、と言っているようだった。
「オレもいろんなこと言いたいんだけど、頭の中でモヤモヤしているだけでどう言ったらいいか分からないんだよ」
注意をしていると、確かに彼の話しには決められたような言葉しか使われていない様だった。彼は白人と東洋人のハーフで、父親はアメリカ人で母親は日本人だった。彼が小さい時に両親は離婚をして、母親に育てられた。
小学校の低学年にインターナショナルスクールから、学費がかなりかかる事で日本の小学校に転入したが、勉強がついていけなくなり、そのまま義務教育を終えてしまった。インターナショナルスクールでは英語を中途半端にし、その後は日本語も中途半端にしてしまったので、語彙が極端に少なく、少し複雑になると自分の思いを英語でも日本語でも言葉に出来なくなってしまった様なのだ。
「いつもモヤモヤしてるんだけど、暴走族にいた頃は、誰かに命令されていたので楽で、頭もすっきりしていたんだ。自分で考えたり、話したりする事なんかいらなかったからね」
「モヤモヤしてるものが言えなかったらどうするの?」
「どうしようもなくなって、キレルね!」
人は自分の思いや考えを頭の中で言葉に置き換えて整理し、考えを進めたり、話しや文字にして伝える。
その言葉がなかったら、少なかったら、伝える事ができない。唖然としてしまった。普段は考えもしなかったことだった。
でも、似たような事は大概の人が多かれ少なかれ経験した事があるのではないでしょうか?的確な表現をして伝えることは難しい事です。
(2010.3.16. y.s.)
昨夜のTV番組「ぶらタモリ」の最終回のテーマが六本木だった。
驚いたことに、昨日UPしたばかりの「東大生産技術研究所」で掲載した画像の建物が番組に登場した。
あの建物は、もともとは旧歩兵第三連隊の兵舎だったのですね。
タモリさんそこまでおいでになったのなら、お寄りになってKOIの音をお聴きくださればよかったのに、と思ってしまった。
(2010.3.12. h.k.)
先日の「アド街ック天国」を何気なく見ていると、かつてあった中島飛行機が紹介され、その中島飛行機で戦闘機「隼」を設計していた故糸川英夫博士が紹介されていた。
第二次世界大戦後の日本のロケット研究は博士のペンシルロケットから始まっているが、その研究の場は、現在僕たちのオフィスの前の、いま政策研究大学院大学とその向こうの国立新美術館の敷地となっている場所に東京大学物性研究所とともにあった東京大学生産技術研究所であった。
先日、博士が主宰した組織工学研究所のことに触れたが、博士の足跡はもっともっと身近に、目の前にあったんだ。
政策研究大学院大学と国立新美術館の間に残された生産技術研究所の建物の一部
(2010.3.10.h.k.)
一年ほどご無沙汰中の知人に、お久し振りの挨拶の電話をした。
彼 「最近如何ですか?」
僕 「お客さんの反応が違ってきたんですよ」
彼 「どう違ってきたんですか?
僕 「三省堂さんの店先でデモをしていていても、以前なら、いい音ですね、という声がかかったのですが、最近は初めてKOIの音を聴いた人が、先方から、凄い音ですね、とか、革命ですね、などという声をかけてくださるんですよ。」
彼(あっさりと) 「いまはいろんな売り場や展示会などでいろんな音響機器がデモをやっていますね、きっと耳が肥えた方が増えてきて、違いがわかる方が多くなったからでしょう。」
僕たちは現在の変化を”百匹目のサル”みたいだと話していた。つまり、宮崎県幸島のニホンザルの群れの中でイモを洗って食べる個体が出現し、真似るサルが増えて100匹を超えたとき、まったく行き来の無い別の島でもイモ洗いが始まったという話だ。
僕達のKOI Tigerのデモンストレーションの積み重ねが一定量を超えたとき、それまで接触の無かった人々にまでトランスパーソナルな変化を引き起こしたのだろうか、信じられないが、と昨日まで訝っていた。
証拠は無い。しかし、彼の説明の方がトランスパーソナルよりありえる話だと思う。
スポーツでも商品の世界でも、ライバルの存在が多くの関心をひきつけることは幾度も目にするところだ。
電話一本でよい教えを乞うことができた。ライバルのみなさんをリスペクトしつつ、着実に進んでいこう。
(2010.3.9.h.k.)
『進化考古学の大冒険』(松木武彦著、新潮選書)という本がある。
生物は遺伝子の複製を繰り返過程で変化する。この複製過程での変化が進化と呼ばれているが、人間が作る物も複製の過程で進化する。この本では、人間の進化の歴史とその歴史の過程で獲得した人間の性質、そしてそのような獲得された性質と環境変化の中で人間が作り出す物や事の変化が認知心理学の助けも得てスリリングに展開されている。
人間の祖先は、チンパンジーの祖先から別れた約700万年前から約20万年前まで、肉食動物の食べ残しの骨を拾い、それを割って栄養価の高い髄を食べるという生活を続け、それによって脳を発達させたのだという。礫石器とか握斧がその時代の人類の道具だった。
約20万年前から約1万年前の農耕の始まりまでが狩猟採取中心の時代だった。
このような進化の歴史の中で美、神、戦争、巨大建造物、国家、普遍宗教、文字、官僚制などがこれまでの教科書とは異なった視点から語られている。
とくに印象深いのは文字のことを「脳外の脳」という表現で語られた部分だ。人間は表象を操る動物だが、音響や画像のような当時他者への伝達が困難であったイメージ表象に対し、命題表象と呼ばれる言語を保存伝達できる文字の獲得は人類史において画期的な出来事だった。 文字の獲得によって、一人の脳の中の命題表象が脳の外に保存でき、多くの人々と共有できることとなった。
そこで成文法というものが成立することになり、官僚制度も機能させることができ、国家が生まれることが可能となった。国家、民族を超えた普遍宗教も文字を用いた教典に負うところが多いだろう。
長々と書いてきたが、言いたいことは現代の文字の置かれた状況だ。活字離れと言われるが、それは文字離れとイコールではない。 このサイトもそうだがWEB上には文字が溢れている。もちろん文字(言語や文字などは命題表象と呼ばれている)だけでなく音声や画像(これらはイメージ表象と呼ばれる)が時間と空間を超えて凄まじい量と速度で交換されている。
文字の誕生が、人類史の中で新石器革命、農業革命と同時期に並ぶ脳の外部化というもう一つの革命であるとするなら、現在の情報革命は脳の外部化を命題表象だけでなくイメージ表象にまで拡大し、時空を超えさせたよりスケールの大きな革命となる。 この革命には、かつての農業革命以上の生産革命が同期していることはいうまでもないが、政治、倫理、人格といったものの中でも大きな革命が進行しているのではないだろうか。
三十年余り前、企業の広報的な活動に関連して、企業が法人として全人格性を持って社会とコミュニケートする必要があると提案したことがあったが、その後企業はあらゆるステークホルダーへの意識を要求され、CSRやコンプライアンスも必須の課題とされることとなった。
そのCSRもコンプライアンスも、不況の中でその火が吹き消されそうに見えるが、企業自身の関心に関わらず、企業の全人格性は企業の外部化された脳(それも現代的に大容量高速化した姿に変身した)を通じて評価を下されているのではないだろうか。
この企業の外部化された脳とは何か?それは企業のWEBサイトや携帯電話。知らない会社のことを知りたいと思ったときに、まずネットで検索してみるという行動や時と場所を選ばず連絡を取り合うという行動、20年前にはなかった行動が企業社会、政治、個人の人格に革命を引き起こしつつあるような気がしてならない。もちろんKOI にとっても他人事ではない。
(2010.3.8.h.k.)
google analytics でこのサイトへのアクセス内容をトラッキングしてみると、ツイッターで何件かこのサイトが紹介されているらしいことが判る。
そのひとつを覗いてみる。
時々刻々の書き手の行動をトレースすることになる。成田に着いた、東京に着いた、どこどこ駅に着いた、〇〇レストランに着いた、と。
あ、だからツイッター(着いた)か。
それを「スタッフのつぶやき」に書けと声がかかった。
(2010.3.5. h.k.)
和歌山県に伝わる民話に「命乞いに来た鯉」という話がある。
わがままな大殿様が、川の淵の主である大鯉を食べてみたいので生け捕りにせよと庄屋に伝えた。
明日は淵に網を入れるという番に庄屋の家に美しい娘がやってきて、淵に網をいれるのをやめてくれないかと頼む。
庄屋が断ったところ娘は出された草もちを食べて帰った。そして、翌日取れた大鯉の腹を開くと、中から草もちが出てきたという。
命「乞い」と「鯉」という同音が意識されているのではないだろうか。
大東市の民話には「鯉の散らし紋」という話がある。
漁師内助が一匹の鯉を長く可愛がって18年も育てていたが、女房をもらったところ、内助の留守中にうつくしい女が女房を訪ねて来て、腹には内助との子がいると、内助と分かれて里に帰るように迫る。
内助は心当たりがないと取り合わなかったが、その夕暮れ船出すると川が荒れ、大鯉が舟に飛び乗り口から子の形のものを吐き出したという。
この話は「鯉」の「恋」とでも言えようか。
飛騨の民話には「水呼ぶ鯉」の話がある。
毎年、雨の降るたびに益田川が荒れ。、久津八幡宮の拝殿まで押し流されそうな勢いだった。長老の弥作じいさんが、拝殿に彫った鯉が水を呼ぶのではないかという。
この鯉を彫った飛騨の匠和田さまに相談すると鯉を封じる矢を彫り刻んでくれ、それを鯉に向かって取り付けると大水の心配は無くなったという。
生きた魚のように水を求める鯉の彫り物という、飛騨の匠を称える伝承であるが、「鯉」と水よ「来い」という音韻の遊びも含んでいるのだろう。
川口市には「片目の鯉の伝説がある。
目を患った人が薬師様に平癒を祈り、礼に放った鯉が片目になるという。
これも、現代的にいうと眼病治療のための栄養源というような面も感じるが、災厄の身代わりを鯉に託する気持ちが、平癒を「請い」願うことと「鯉」の音韻の共通性と結び付いているのではないだろうか。
「鯉」「乞い」「恋」「来い」「請い」とKOI に連なる言葉に、つい「濃い」思い入れを抱いてしまうのは避けようもない。
(2010.3.4. h.k.)
今日は3月3日、雛祭り。桃の節句。
桃は災厄を祓い、鬼を祓うという。桃太郎伝説もこのこととかかわりがあるらしい。
(ほころび始めた桃の蕾 3月5日撮影)
(桃満開 3月16日撮影)
一方、5月5日、端午の節句はKOI,Inc.山本社長の誕生日。KOIの名は鯉幟の鯉からとったという。
「鯉の滝登り」という言葉に表されるような鯉の力強さを、子の逞しい成長を願う親の希望に結び付けた「鯉登り→鯉幟」という言葉の縁が鯉幟の由来だと思うが、似たような言葉に「鰻登り」という言葉がある。
鰻はマリアナ海溝あたりで産卵し、孵化した幼魚が長い旅を経て川を上り滝を登って海から遠く離れた山間の田にまでやってくる。
この勢いと、掴もうとするとツルツルと手をすり抜ける印象から、物事が急上昇する様を表現する時に「鰻登り」という言葉を使うらしい。
以前、鯉幟を真似て「鰻幟」を作ろうかと思ったことがある。
土用の丑の日の宣伝用に使えるのではと思ったのだが、鯉よりずっと細長い鰻ではとても風ではためくことは難しそう。それでは理髪店の赤、青、白の看板のように回転させて錯覚によって上昇するような視覚効果を狙ってはどうかなどと考えたが実現しないままで終わってしまった。
それにしても、KOI製品の売り上げはこの景気の中でまだまだ鯉登り、鰻登りとはいっていないが。鯉幟にちなんだKOIらしい日の近からん事を!
(2010.3.3 h.k.)
1972年、「喝采」で第14回日本レコード大賞を受賞した、ちあきなおみ。 数々の恋歌を歌ってきた彼女は、1978年に結婚した夫・郷 鍈治と1992年死別。その後、夫の死に殉じるように引退宣言のないまま、現在に至るまで一切の芸能活動を停止している。
ドラマティックな「喝采」と実人生を重ね合わせてイメージされた彼女は、自身が歌った多くの恋歌の主人公として、愛する夫の死に殉じたのだろうか。
その彼女の歌の中に「帰れないんだよ」という、一際異彩を放つ歌がある。秋田まで帰る汽車賃があれば一月生きられる、そして自分も楽ではなさそうなのに焼きそばを奢ってくれる友人もいる、だから帰るに帰れないんだという零落した男の歌である。
歌詞の中に「初恋の君」という言葉は出てくるがロマンティックな恋歌とはほど遠い。それにもかかわらず、故郷を恋い、肉親や旧友、初恋の人を恋いながら合うこともかなわない、この歌もまた一つの切実な恋歌であるようだ。 この重く厳しい恋歌の存在が彼女の恋歌全体の奥行きや彩りを豊かなものにしているのではなかろうか。
(2010.3.1 h.k.)
毎日のように通る道の角にさり気なく立つ二宮金次郎像。最近まで気付かずに通っていた。
外苑東通りに面した、東京ミッドタウンの向かい側にある何時も柵に囲まれたままの”空き地”。トラックヤードなのだろうが、使われたのは見たことがない。
車除けらしいコンクリート塊。取り壊そうとした形跡があるが何故か中断状態。
六本木にKOI(鯉)なら新宿には鮫だ。
ハードボイルド作家大沢在昌の人気シリーズ『新宿鮫』、キャリア官僚として警察庁に入庁しながら組織に疎まれ、新宿署の刑事としてやくざにも恐れられる鮫島警部を主人公とするハードボイルド警察小説シリーズだ。
新宿が舞台の筈であるが、このシリーズには六本木周辺がよく登場する。事件の舞台として六本木が使いやすいということもあるだろうが、大沢氏自身が学生時代から六本木に馴染みが深いことによるらしい。
たとえば、僕自身が新宿方面から車で帰社する場合と同じルートが作品中で用いられていた。
外苑西通りから大京町で左折して慶應病院と中央線の間の道を通り、信濃町駅の前で右折して外苑東通りへ、青山一丁目交差点を直進して青山斎場の前を通過し、六本木トンネルの側道に入り星条旗通りに左折すると弊社が入るセイコー六本木ビルの前にたどり着く。その向かい側には現在政策研究大学院大学があるが、かつては東京大学生産技術研究所があった。
この道順と東大生産技術研究所に関する記述を彼の作品の中で読んだことがあると記憶しているのだが、残念ながらその作品名までは確かではない。
別のシリーズではあるが『六本木聖者伝説【不死王篇】』169頁~170頁に次のような記述がある。
「マンションは、防衛庁の向かいを、青山墓地の方角に坂を下っ途中にあった。夜間は路上駐車のメッカになる。通称「星条旗通り」だ。畑山の教えたマンションは、その通りに面した七階建てのものだった。一階に駐車場があり、~中略~マンションの向かいは東大の生産技術研究所の高い石塀がつづいている。」
また別のシリーズ『氷の森』には次の記述が見られる。
「私の事務所は六本木の七丁目、明治屋の裏を昔の龍土町方向におりていったビルの三階にある。五階建て、十室の小さなそのビルはファッションメーカーが二室、広告制作プロダクションが三室、大家が二室を使っている。駐車場は、ビルの地下で道路からは一段低くなっている。」
前者はまさに弊社の風景とぴたりと一致し、後者も僕たちが徒歩でよく通る道筋だ。
いずれにしても、「鯉」と「鮫」はどうも隣三軒両隣に近い関係のようだ。
(2010.2.26 h.k.)
雪が止んだ星条旗通りの向こう、オフィスの鉄線入りの窓越しに見えているレンガ色の建物は政策研究大学院大学という厳しい名前の大学。2006年に経済財政政策担当の内閣府特命担当大臣に就任されたことがある、大田弘子さんが副学長・教授を勤めておられる。
弊社は美術や音楽だけでなく学術的にもなかなか文化的なスポットに立地しているといえるだろうか。六本木という地名の範囲内では、他に大学は見当たらないないようではあるが。
KOI,Inc.の所在地フラミンガムはボストンの近郊だが、ボストンはバークリー音楽大学あり、ハーバード大学あり、マサチューセッツ工科大学ありと豪華な学術都市で、他にタフツ大学、ボストン大学、ボストン・カレッジ、ノースイースタン大学、ラドクリフカレッジがある。
こちらも負けられないと近隣の大学、といっても東京の大学は多すぎるので、港区に限ってみると五十音順で、オーストラリア公立RMIT大学カイロプラクティック学科日本校、北里大学、慶應義塾大学、芝浦工業大学、テンプル大学ジャパン、東京慈恵会医科大学、東京海洋大学、明治学院大学と8大学があるらしい。
すぐ傍にある青山学院大学、聖心女子大学、国学院大学は渋谷区になる。
(2010.2.18 h.k.)
弊社は六本木ヒルズの森美術館、東京ミッドタウンのサントリー美術館、そして国立新美術館という三つの美術館によって構成される三角形に囲まれている。
ついでにもう一つ、音楽関係の三角形に囲まれていれば面白いということで、アークヒルズのサントリー・ホール、南青山の東京ブルーノートともう一つ乃木坂か青山一丁目付近にコンサートホールがないかと考えたが思いつかない。
美術と音楽の二つの三角形に囲まれた弊社というアイデアは残念ながら不発らしい。
そもそも、サントリー・ホールとブルーノートが作る一辺と弊社の位置は近すぎて三角形に包まれるというには元々無理があったかもしれない。
と、ここまで地図を頭の中で思い浮かべていたのだが、ふと思い立って実際に地図上でサントリー・ホールとブルーノートの位置を確認し、定規をその地図上に当ててみた。
するとどうだろう、弊社の位置はその一直線上にほとんど乗っているではないか。そして、そればかりではなく、弊社の位置は森美術館と国立新美術館を結ぶ一直線上でもあった。
なんと、弊社の位置は、サントリー・ホールとブルーノートを結ぶ直線と、森美術館と国立新美術館を結ぶ直線との文化的な交点であった。
(2010.2.15 h.k.)
先に、六本木は神田神保町と比べて外国人が多い旨紹介した。その国際色の強い六本木に店を構える青山ブックセンターは洋書の販売に力が入っている。
その青山ブックセンター六本木店で僕は『ジュラシック・パーク』の続編『ロスト・ワールド』のペーパーバックを手に入れた。
英文を読むには辞書が欠かせない僕が初めてペーパーバックを買ったのだが、それにはわけがある。留学体験もある同僚のy.s.が「僕は辞書など用いずに構わず読んでしまう」という話を聞いて自分の語学力も顧みず試してみようという魂胆からであった。
この辞書を用いずに英文を読むという、僕にとっては大胆なチャレンジは結果として、自己判定では大成功であった。
それは、この本のテーマが恐竜、カオス、自己組織化などという自分に興味のある分野であり、出てくる英語の専門用語もたまたま馴染みがあったことが大いに助けになったのであり、他のペーパーバックを同じように読めるという保証を得たということではないことは自分でもよく分かる。それにも関わらず、辞書を用いず英文を読み、頭の中に情景が浮かび上がってハラハラドキドキするという体験は嬉しいものであった。
しかし、この臨場感も、『ジュラシック・パーク』や『ロスト・ワールド』のDVD映像を、KOI Tigerスピーカーの音響を用いて鑑賞する圧倒的な臨場感と比較にならないことはいうまでもない。
(2010.2.15 h.k.)
天才ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは5歳で最初の作曲をしたという。ヴォルフガングの天才に気付いた父レオポルドが幼少時から音楽教育を施し、3歳時にはピアノの前身クラヴィーアを弾き始めたのだ。
天才か否かは別にして、実はこのような早期の学習能力は乳幼児一般にみられるものらしい。
たとえば、数字はおろか言葉を習得するまえの乳児が、算数の前提となる数量の認識ができる。ただし、文字や記号、言語を習得していないので、それらを用いた複雑な計算にとりくむには困難があるし、理解できていることを表現することにも障害がある。
そして、文字や記号の習得に関しては乳児の視力の問題がある。
グレン・ドーマン(『幼児は算数を学びたがっている』サイマル出版会)によれば、赤ちゃんは視力の発達の関係で大きな文字であれば認識できるという。
ドーマンは30cm四方のカードに直径1cmの赤いドットを1個貼り付けたものから100個貼り付けたものまで100枚のそれぞれの裏面にその数字を大きく書いたものを作った。
赤ちゃんの機嫌が良い時間に数を数えながらこのカードの両面をみせるというようなことを繰り返すと自然に数量が身についてしまう。これを用いて足し算の習得も可能だ。
同じ要領で文字の習得も可能である。平仮名、片仮名、アルファベットなども大きな文字を用いればよい。戸田デザイン発行の『あいうえおえほん』『カタカナえほん』『ABCえほん』は、たとえば左ページいっぱいに足の絵が描いてあり、右のページいっぱいに「あ」と大きく書いてある、次は犬の絵と「い」の大きな文字という具合である。
カタカナえほん左ページ
カタカナえほん右ページ
これらの絵本を、自動車の絵本、動物の絵本、ノンたんのシリーズの絵本などの仲間として読み聞かせたり、子供が自由に見られる状態にしておく。子供がそれらの絵本で楽しむようであれば3歳未満で仮名文字やアルファベットを習得してしまう。
聴覚に関しては視覚より発達が早く、胎内で既に母体の音、外界の音を聞いているという。誕生直後から名曲を聴くことも可能だということになる。モーツァルトの天才も、誕生直後から音楽家の家庭での恵まれた音環境の中で育まれたに違いない。
天才を生むかはともかくとして、乳幼児期からの家庭の優れた音環境が子供に豊かな感性を育むことは間違いないだろう。
(2010.2.8 h.k.)
老人はだいぶ離れて立っていた。眼をつむって、フンワリ浮いている様に音を聴いていた。
しばらくして、ゆっくりとスピーカーの近くに歩き寄り、じっとサテライトスピーカーを見て、「これは革命ですね」とはっきりした声で言った。
「こんな世界があるなんて知りませんでした。本当にこれは音響の革命ですね。」
若い頃は、公共放送局で長年ラジオなどの音の仕事をされていて、趣味でスピーカーやアンプなどを作られていた老人は懐かしそうに昔のスピーカーの話しをされ、改めて真顔でおっしゃった。
「でも、このスピーカーの本当の凄さが解るのは一握りの人達でしょうね。ありがとう」とゆっくりと歩いていかれた。
何か凄い話を聞いた様な気持ちになった。
(2010.2.7 y.s.)
KOI,Inc.山本修士社長によれば、KOIという社名は山本社長の誕生日が5月5日であることから鯉幟の鯉、そしてKing Of Industryの頭文字でもあるという。
〔koi〕という読みは、日本語では「恋」「来い」「故意」「濃い」「乞い」などが挙げられるが、もう24、5年も前そのうちの「恋」と「乞い」を用いた公開セミナー【愛の人間学――「恋う」と「乞う」の世界】を企画したことがあった。
「愛の人間学」に「恋」は判るが「乞食」の「乞」には違和感を感じる向きもあるだろう。しかしこの企画は〔kou〕という読みが同じだから「乞う」も並べてみたというわけではない。むしろ「乞う」が重点であった。
「乞う」を単独で言葉にすると、乞食を連想するネガティブな印象を持たれるようだが、教えを乞う、許しを乞う、協力を乞う、執筆を乞う、案内を乞う、などなど非常に日常的な人間関係に欠かせない行為である。
この「乞う」を「恋う」との対比のうえで広い学問分野から積極的な意味を探ってみようというのがセミナーの趣旨であった。
このセミナーの内容は、水上勉さんの執筆や当時早稲田大学の大学院生だった佐藤富雄さんが担当してくださったアンケート調査の結果も含めて『乞う。』というストレートなタイトルで1988年にポーラ文化研究所から発行されている。
詳細には立ち入らないが、「乞う」は人間の文化の中に埋め込まれた、あるいは本能にまで埋め込まれているのではないかという根源的な関係ではないかと思われる。
「乞う」側が得て、「乞われる」側が失うというような非対称な関係ではなく、乳を乞う乳児、抱っこを乞う幼児に応える母親は子の喜びを喜ぶのであり、奪われるのではない。双方に喜びをもたらす働きかけであり愛の関係である。
アンケートでは様々な場面で乞うことの多い者ほど社会的な活動性が高いという結果が現れており、現代においても「乞う」関係の重要性は薄れてはいないことがわかる。
私たちもKOIのプロモーションを通じて様々な乞う行為を日々実行している。面会を乞い、ご試聴を乞い、様々なご協力を乞うこと、そしてそのありがたい多くのご協力によってKOIの現在もある。
願わくば、私たちのこの「乞う」行為が願われる皆様にとってご迷惑ではなく、「乞い」の本来の喜びに満ちた関係であってほしい。日々関係者皆様にとってご迷惑ではなく喜びにつながる自分でありたいと、やはり乞い願う次第である。
(2010.2.5. h.k.)
押上で建設中の東京スカイツリー、634m。世界一の自立式電波塔。
こんな高いものをどうやって組み立てるのか?
だるま落しの逆に下からブロックをはめて押し上げていく。押上というぐらいだから。
・・・なんてわけありませんよね。
2009年9月3日
2010年2月3日
地上波テレビジョン放送の完全デジタル化が2011年の予定になっていますが、東京スカイツリーの開業は翌2012年の春。
林立する高層ビルの電波障害に妨げられずに、関東地域の広い範囲で良好なデジタル放送の受信ができるとなると、その良さを生かせる良質な音楽番組や映画の放映を期待したいですね。
KOIのあるリビングルームにはそんな状況が待ち遠しいですね。
(2010.2.5 h.k.)
不況感が蔓延し、一刻も早い景気の回復が待たれているが、そんな中、かりに所得が上昇してもあまり消費活動に向かいそうもない世代が登場している。(『「嫌消費」世代の研究』 松田久一著 東洋経済新報社刊)
1979年から1983年の間に生まれた世代は、家や車を持ちたいとは思わす、レンタルでよい、大型テレビなどかっこ悪い、衣類もため込むより、ユニクロのものを使い捨てて毎年買い替えた方がいいと考えているという。
いま金がないから買えないということではなく、消費活動が不活発なだけ金が残る勘定で、30歳までに一千万円の貯蓄を目標するなど、どうも価値観がコンパクト、シンプルを志向しているようだ。
筆者の長男も1983年生まれで丁度この世代。聞いてみると、上記のような価値観はぴったり当てはまるらしい。 しかし、彼らにも高級品に対する志向や憧れが無いわけではない。大画面TVを好まない彼らもコンパクトで高画質の有機ELテレビには憧れる。
こういった憧れの商品の購買を決定するにあたっては、周りの評判が重要だという。それもネガティブな方向での影響が大きいらしい。友人やネットでの悪評は非消費に直結するようだ。
長男に聞いても、信用できる会社か、親しみ、人間味を感じるか、ホームページに好感を持てるかが重要であるという。
彼らを、突然変異、一過性の世代というより、これからの社会全体の消費スタイルの先行指標として注目すべきだと思う。
この世代よりもっと若い世代はどうであろうか。ちょっとした情報の断片であるが仕事柄気になることがある。
「青春音楽小説」という小説のジャンルが生まれているらしい。 高校生くらいの若者たちの学園生活、音楽生活を描いた小説で、劇画『のだめカンタービレ』と同じ流れにある。
例を挙げると、
『船に乗れ!』Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ巻 藤谷治著 ジャイブ株式会社刊
『カルテット』鬼塚忠著 河出書房刊
『よろこびの歌』 宮下奈都 実業之日本社刊
『さよならドビュッシー』中山七里著 宝島社刊
『のだめ~』が若者のクラシック志向の象徴としてよく取り上げられるが、この傾向はより発展しているということだろうか?
最近、KOIの音を聴いて、いい音ですね、に止まらず、凄いですね、信じられないという人が多くなったが、それは決まって楽器を演奏していり人やライブ好きの人である。「青春音楽小説」のお陰なのかもしれない。この読者層の世代や先の非消費の世代はオーディオにどんなスタンスで接することになるのだろう。楽しみである。
(2010.2.3 h.k.)
このコーナーでは原則として音楽か六本木、できれば両方にかかわる内容を心がけて、そのためのネタを心に留めるようにしている。
そんなある日の図書館リサイクルコーナー、目に入ってきたのが『バーボンストリート』というタイトル。沢木耕太郎著、昭和59年刊行のエッセイ集、その文庫版だった。
バーボンストリートには懐かしい思い出がある。ニューオルリンズに観光旅行し、フレンチクォーターのバーボンストリートにあるラマダインに宿泊し、見物して歩いたのが1971年8月、当時の米大統領ニクソンがドルと金の交換停止を宣言して変動相場制開始を発表した、いわゆるニクソンショックの丁度その時期だった。
まだ20代後半だった私は、グッドイヤー社の合成ゴム技術の導入のために1ヶ月テキサス州ボーモントにあるグッドイヤーの工場を訪れていたのだが、その間の週末を利用した小旅行だった。
ニクソンショックについては、現地のTVニュースが理解できず、帰国時のJAL機内で新聞を読んで初めて知ったというノーテンキであった。
ところで、タイトルのバーボンストリートだが、第2話の「死んじまってうれしいぜ」の最後にバーボンストリートが登場するのみである。あとがきによると、フランスの作家ボリス・ヴィアンの『北京の秋』は、北京でも秋でもないから「北京の秋」と名付けたという話を真似て、バーボンともストリートとも関係ないからバーボン・ストリートと名付けたという。
勝手な話だが、当方としてはこのままでは都合が悪い。しかし、最後のエッセイ「トウモロコシ畑からの贈物」に救いが残されていた。 そこに、沢木さんがバーボンを好んで呑むようになったきっかけのバーが紹介されている。
ヘレン・メリルの気怠い歌声が微かに聞こえるそのバーは六本木の喧騒の中にぽっかりと静寂が支配するある一角にあったが、このエッセイが書かれた当時、すでに姿を消していたという。
この消え去ったバーとは関係ないと思うが、六本木の弊社近くに「バーボンストリート」という名のライブを聴かせるレストランがある。
(2010.1.22 h.k.)
1月18日から1月21日までの4日間、六本木通りに面した青山ブックセンター六本木店の店頭でKOI Tigerのデモンストレーションを行う予定だ。その翌週も荒天でなければ神田神保町の三省堂書店本店前で1月26日から同じく4日間。
面白いことに同じ東京の書店店頭でも、KOI Tigerに興味をお持ちいただく方々に、土地柄がはっきり現れる。
六本木は外国人(と思われる人)が多い。しかも皆さん「チラシいただけますか?」という日本語が非常に上手い。少なくとも私よりきれいな日本語だ。なかにはべらんめえ調の方もいらっしゃるが。
一方、神保町の方は日本全国から出かけてこられている人が多い。もちろん、べらんめえ調もいらっしゃるが、北から南まで全国のお国言葉を耳にすることができる。
職業的には、六本木の場合は音楽や映像、放送関係に従事している方が多く、神保町では経営者や自営業が目に付くように思う。
いずれにしても、このような多種多様な出身や職業の皆様にKOI Tigerの音をお聴きいただく喜びをこの1年また楽しませていただこう。さあ、干支も寅年でぇ、そろってTigerを聴きにKOI!、・・おっと失礼、お越しをお待ち申し上げておりまする。
(2010.1.14 h.k.)
日本最西端与那国島の東約90kmに位置する西表島の日没は遅い。東経約123度50分。東京を140度すると16度10分差、時間にして1時間と4分くらいの差という計算になるが、南国の太陽の明るさのせいか、二時間ほど遅いような実感がある。
その遅い夕暮れ時に、リュウキュウコノハズクの鳴き声と合奏するように、古い集落の、隆起さんご礁の石垣で囲まれた家々から三線を爪弾く音が流れてくる風情が好きだ。
沖縄の人は、「昔、力を尊ぶヤマトのサムライは床の間に刀を飾った、知を尊ぶ朝鮮では筆を飾った、それに対しウチナーのサムライの家では床の間に三線を飾ったと、誇らしげに語る。
民宿のオジーやオバーも三線や唄、踊りが上手い。「今はねー、テレビやラジオやCDもあるからヨー、私たちの若い頃は自分達で謡わないと楽しみがなかったサー」と聞くと、伝統プラス離島の島々の生活環境の厳しさなどにも思いをいたさなければと考えるとともに、生活の中に音楽や芸能が息づく異郷に憧れをも禁じえない。
多数残された八重山民謡の中には西表島の民謡も多い。『西表民謡誌と工工四』(石垣金星著、西表をほりおこす会発行)には西表の民謡が26曲紹介されているという。上の写真はその中の「まるま盆さん節」に謡われる祖納集落前に浮かぶまるま盆さん島で地域の伝統的な祭祀とも結び付いている。
私がかつて何度もお世話になったカンピラ荘のある上原地区には「でんさ節」がある。
親子や身分、職分などをわきまえてというような教訓歌で、身分制を固定しようというような内容ではあるが、観光客も嬉しそうにこの唄を習って帰る。広い意味で、チームワークのために個々の役割を全うしようと受取ればよいのかもしれない。
同じような傾向の唄でよく知られる沖縄の唄が「てぃんさぐの花」。
てぃんさぐぬ花や
爪先(てぃみさち)に染(す)みてぃ
親(うや)ぬゆし事(ぐとぅ)や
肝(ちむ)に染(す)みり
「鳳仙花の花で爪をピンクに染めなさい、そして親の言う事は心に染めなさい」という教訓の唄。
良薬は口に苦しというが、親に限らず誰からのものであれ、良い忠告ほど耳に痛く、なかなか心に染みていかない。この良薬のような忠告を聞き逃すことなく心に染み込ますことができるか、このいにしえからのテーマを今年の目標にしてみようと思う。
(2010.1.13 h.k.)
小さい頃からラテン音楽が好きだった私は、トリオ・ロス・パンチョスの大ファンだった。
一方で、ウクレレにも興味を持ち、牧伸二のタフワフワイ「あ~ぁやんなっちゃった♪」だったり、「マラゲ-ニャ~♪」「ベッサメ~ベッサメム~チョ♪」だったり、見境のないガキだった。
トリオ・ロス・パンチョス は初代から何度もメンバーを入れ替え、メキシコ人だけでなく、プエリトリコ人もメンバーにいた。
その中でも特に人気の高かった3代目のトップボイスとして活躍したフリート・ロドリゲスは素晴らしい声とテクニックの持ち主で、私の「マラゲーニャ~♪」より10倍息が続く。
メキシコと云えば、私の住んでいる御宿町とメキシコのアカプルコが姉妹都市になっていて、何やら、とても深い関係がある。
今から400年前(江戸時代の初期)当時どちらもスペイン領だったフィリピンからメキシコに向かったサンフランシスコ号(船長ドン・ロドリコ)が航海中、嵐に遭遇、御宿の海岸に座礁した。
御宿の村人達は総出で救助にあたり、300人を越す乗組員を救い上げた。
鎖国前の出来ごとで、異邦人は処刑されるところだったが、時の将軍、徳川家康は器がでかい。処刑どころか彼らを歓迎し、さらに新造船を与え、乗組員達は無事にメキシコに帰ることが出来たとか。
その縁で建てられた記念塔があり、昭和53年にはメキシコ大統領も御宿を訪れ、御宿町とアカプルコが姉妹都市を結ぶきっかけにもなった。
作年の9月には皇太子さまが御宿町で開かれた「日本とメキシコ交流400周年記念式典」に出席された。
アカプルコと云えば、・・・エルビス・プレスリーを思い出す・・・・・・・・・・次回。
(2010.1.6 j.i.)
2009年12月31日も残りあと僅かの下町柴又帝釈天から、歳末の音の風景をお届けします。百八っつの煩悩を払う除夜の鐘の音を「KOI」の代わりに「濃い」文字で。
「♪俺がいた~」
ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、
ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、
ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、
ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、
ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、
「~なりたくて♪」
ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、
ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、
ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、
ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、
ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、
「♪今日も~」
ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、
ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、
ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、
ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、
ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、
「♪ドブに~」
ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、
ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、
ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、
ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、
ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、
「~兄さんは♪」
ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン、
ゴ~~ン、ゴ~~ン、ゴ~~ン。
「~よろしくおたの申します♪」
(2009.12.31 h.k.)
六本木交差点から溜池方向に坂を下り、俳優座前を通り過ぎ、東京ベッド(現在フランスベッド東京六本木ショウルーム、ビルの看板はまだある)の隣にスタービルという名の小さな古いビルがある。スターが住んでいるわけではなく、ビルを上から見ると星型のようなデコボコした形になっているからだという。
このビルに昔、私が在籍したこともある組織工学研究所というミニシンクタンクが入っていた。日本のロケット工学の草創期にマスコミを集めてペンシルロケットを飛ばし、ロケット博士として名を売り、その後ベストセラー『逆転の発想』でさらに名を高めた、糸川英夫博士が主宰する研究所だ。
この糸川博士の博士号、実はロケットの研究とは関係ない。第二次世界大戦終了まで戦闘機の設計に従事し、晩年は貝谷バレエ団に所属して舞台に立ったり、チェロの演奏を始めたり、多彩な活動で知られる博士だが、博士論文の内容は音響学であった。
敗戦と同時に戦闘機という研究対象を失って東大に戻った彼は、戦争の時代の研究とは全くの方向転換で、あの名器ストラディバリウスの音の秘密を探り、ストラディバリウスに負けないバイオリンを作りたいと平和の時代の研究を開始し、その音響学研究の成果により工学博士の称号を得たのであった。
ロケット研究以前のこのような不遇に見える体験の中ですでに、「逆転の発想」は育まれていたのではないだろうか。
しかしこの工学博士、ポータブルラジオやテープレコーダーの音が出ないとすぐにポンポンと叩く。日常行動は私たちと変わらない。
(2009.12.24 h.k.)
昨日、以前勤めていたミズノの忘年会に呼んでもらった。12年前に辞めてから久しぶりの忘年会である。
スポーツ業界もご多聞にもれず厳しい商戦だという。やはりデフレスパイラルが調子を狂わせているんだなあと思う。
入社3年目の女の子と話した。彼女は聞くとジャイアンツの篠塚コーチの娘さんとのこと。実は15~16年前自分の家の近くの中華屋さんで家族で食事をする篠塚さんをよく見かけたもので、その頃小学生だった娘さんをしっかりと覚えている。その少女がいまや立派なOLで目の前にいる。
感慨深くいい酒を飲ませてもらった。
皆の顔を見ていると元気がでてきた。
帰り道、いつもより足取りが軽かった。
(2009.12.22 s.o.)
アランフェス協奏曲をオケと演じるイエペスが有名だが、オケにはギターパートがない為一般の方がクラシックギターを聴く機会はそう多くはないと思われる。
私の年末の恒例になっている秘かな楽しみは早稲田大学のギタークラブが演じる約30名の壮大なギター合奏、第一ギターから第四ギターまで各パート7~8名が演じるギターのオーケストラです。
1年間積み上げて練習してきた成果が思う存分に発揮され、指揮者の元、素晴らしい旋律を奏でてくれる。音の粒が舞い上がり、まさに音に包まれる至高の時空間を味わえる。毎年12月下旬に行われるこのコンサート、足を運んでみられては如何かな?
なんと無料です。場所は京浜東北線、川口駅まん前のリリアホール、12月25日(金)18時開場、18時半開演です。
(2009.12.21 s.o.)
『鼻行類』という本がある。
哺乳類の中に鼻行目という14科189種があり、南太平洋ハイアイアイ島に1957年まで生息していたという。鼻を歩行や捕食に持ちいるという特徴があり、多くの名が「~ハナアルキ」となっている。
日本語版は、最初思索社という専門書の出版社から発行された、分類、解剖図、生態などに溢れた学術書の体裁。ハラルト・シュテュンプケ著、日高敏隆・羽田節子訳。
全く聞いたことが無い189種もの哺乳類、これは地中に棲みハチやアリなど社会性昆虫と同じ生態を持つハダカデバネズミのことを初めて知ったときよりショッキングな話だ。
ところがこれが、見事な大法螺。こんな生物はおろか島自体が無い。
訳者であり元京都大学理学部長・もと滋賀県立大学学長でもある動物行動学の第一人者日高敏隆先生によれば、この法螺は、実在しないことを除けば非常に理論的な整合性が高いという。
入学試験の問題として、あえて架空の生物を設定してみようとすると、問題自体の中にどうしても矛盾が発生してしまってうまくいかないとのことだが、鼻行類は専門化が見ても非常にリアリティがあるらしい。
この日高先生に「科学は演じられている」という講演をお願いしたことがある。
講演の前半で鼻行類のことを事実であるかのように紹介していただき、最後にフィクションであることを種明かしして爆笑をとってから、「科学という制度も演じられている」という本題に入っていただくという趣向だった。
もちろん、演じられているといっても科学が嘘や法螺というわけではなく、記述のしかたが、科学という制度の様式に従ったかたちで表現されるというような趣旨であった。この講演は『演じる3』(ポーラ文化研究所)に収録。
科学が演じられているということは科学者も演じているわけで、日高先生も幅広い名優でこのようなパロディ本の訳者になるだけでなく、ジャズ好きの先生はサックス奏者の坂田明氏と『ミジンコの都合』も出されている。京大退官記念パーティーには坂田氏の他にも幅広く有名人の顔がみられ、先生の交際範囲の広さが偲ばれた。
その先生とは十数年のご無沙汰になってしまっているが、ジャズ好きの先生にKOIでジャズを聴いていただく機会もあるのではないかと楽しみにしていた。しかし、11月14日死去さられたと突然報じられた。79歳、まだ早すぎる・・・。とはいうものの、これは法螺でも芝居でもない。ご冥福をお祈りするしかない。
(2009.12.18 h.k.)
西表島で採れる三美螺が法螺貝の仲間だと書いたが、西表島の法螺話をご紹介しましょう。
西表島の上原という集落にカンピラ荘という民宿がある。変わった名前だが、この島の浦内川上流にあるカンピラ滝(カンピレーともいう、神の座という意味だとも)に因んでいます。
沖縄の本土復帰3年目に訪れた時、この民宿はスタート間もなく、農家の兼業で小型ダンプカーで客の送迎をしている状態でした。石垣島の民宿で、西表にパイナップル食べ放題の民宿があると教えられたのがこの民宿でした。
民宿のヘルパーや道路工事、パイナップルの缶詰工場でのアルバイトをしながら長期滞在している若者達がいる、当時西表のあちこちでよく見かける民宿の一つでした。
パイナップル畑で、民宿のオジーが「ヤマトンチューはなんにも知らんサー」と、本土から観光に来た女の子が民宿の日誌に、「パイナップルは木の枝からぶら下がって実っていると思っていました」と書いていたこと笑いながら話したことがきっかけで、その民宿はその後法螺の民宿として石垣島や那覇の民宿まで言い伝えられ、客を呼び寄せることになったのです。
新しい客を迎えた夜、泡盛を飲みながら古いメンバーが新しい客に島のオリエンテーションをします。明朝パイナップルの収穫に出発するので竹竿とスコップを用意するようにと。本当のパイナップル畑を見たことがある客にも、そんな普通の若いパイナップルは美味くない、古木に育った実の味はここでしか味わえない、地下茎に育つ実はそれ以上だとその場で適当に話が出来上がってしまう。
西表の川はマングローブの中をくねって小アマゾンという風情なので、ワニがいるピラニアがいるという話も簡単に信じてしまう。揚子江にもワニがいるし、オーストラリアなどの海洋性ワニもいるしと、海流にのってやってくることにしてしまった。
1974年 西表島 島内小河川にも見られるマングローブ林
民宿のオジーも人が悪い。突然なんの打合せもなく、「山にいるパイプウニの話をまだしていないサー」と突然振ってくる。「ああ山パイプね」と応じながら、大至急話を作るしかない。そんなものいるはずないんだけど。本当のパイプウニはハリの太さが人の指くらいあるウニでさんご礁の最先端に棲んでいるが、山パイプは山の8合目の湿った窪地の茸の一種ということにする。見つけるコツは、ぽっぽっと煙が輪になってでるところを探せばよいと笑いを取るためのオチのつもりで話しても、観光客達は唾を飲み込みながら聴いている。
オジーは山には恐ろしい角を持った巨大な芋虫がいるという。刺されると3年後に腐ってくるというので、我々は「3年殺し」と名付けたが、真偽の程は定かでないがかなり怪しい。オジー恐るべし。
西表にはサソリが2種類いるよという人もいて、騙されないぞと思っていたら、実際にその一種「ヤエヤマサソリ」を数匹捕まえてきて見せてくれた。イリオモテヤマネコの本物の研究者だった。西表というところは何でもありそうだからやっかいだ。
こんな法螺を次々作り出すうちに、騙されて大笑いしたり、常識をがたがたにされた観光客が帰りの道筋でカンピラ荘の噂を広めていったのです。
こんな具合で、いかにもありそうなことが実は法螺だったり、ありそうにもないことが実は現実に存在したりするもので、体験してみなければ判らないですね。
超小型スピーカーKOI Tigerの音の凄さも、話を聞いただけでは法螺のような、ありそうもない本当の話なんですよね。
(2009.12.16 h.k.)
不思議な人がいる。私が困っている時に現れては助けてくれるんだ。
Cさん~16年前両国に魚河岸のロッキーと呼ばれたボクサーがいた。
数々の伝説を残してボクシング界を引退、引退後は世界ミドル級チャンピオン竹原慎二さん、世界修斗ミドル級チャンピオン桜井マッハ速人さん、世界DEEPミドル級チャンピオン長南享さん、柔道家吉田秀彦さん等を指導し、格闘技界では誰もが知る存在なんだ。
そういえば立石にある宮田ジムに連れて行ってくれたのも彼だった。宮田会長は気さくな人で、当時日本スーパーフライ級チャンピオンの松倉選手を売り出していた。KO率80%を超えるハードパンチャーだった。残念ながら世界は獲れなかったが後輩の内藤選手がしっかりと世界を獲ってくれた。(亀田選手に負けちゃったけど・・涙)Cさんの人柄が宮田会長にも内藤選手にも通じているんだなあと思う。
その彼と約3年音信が途絶えていた。たまたま先日車を運転していて、六本木トンネルを抜けた所でCさんを見かけた。スピードを出していたので声をかけれなかったんだが、間違いなくCさんだった。よかった!元気そうだ。ちょっと心の中では、以前喧嘩で一般人を殴ってしょっぴかれたのを聞いていたから心配をしていたんだ。相変わらずの軽いフットワークで歩いている姿をみて、また私の目の前にフッと現れてくれるような気がしてきた。
年末のDynamite!で、石井慧選手と対戦する吉田秀彦選手を教えている姿が目に浮かぶ。きっと大晦日に会えるんだろうなあ。そんなことを考えていたら、ちょっと嬉しくなった。
(2009.12.16 s.o.)
12時集合とのことで、ワインとビールを下げてお邪魔しました。
目の前で茹で上がったツルッとして、しかも腰のあるお蕎麦をご馳走になりました。蒸籠なら3~4人前はペロッといってしまいそう。もちろん蕎麦湯もトロッとしてこれまた格別でした。
さらに、こだわって煎られた番茶に山形のふっくら丸い干し柿、まずは食を楽しませて頂きました。
他のお客様方は2時過ぎ頃との事で、いよいよTIGERを取り出しセッティングを始めるが一級建築士さんの事務所なので、所狭しと関連雑誌が山積みで机の表面が見当たらない、棚にはJAZZレコードが数千枚保管され、サテライトスピーカーをどこに置くか思案。無造作な考えでしたが高さも雑誌で調節できるし雑誌の上に置いちゃえ・・・サブウーファーはコピー機の隣と、さてTIGERのアンプとレコードプレーヤー(DENON-DP-3000・MCカートリッジDENON-DL-103)との接続です。
レコードで聴くJAZZは何とも言えない、針音が、僅かなノイズが、昔通ったJAZZ喫茶を思い起こさせる。モノラル録音が山ほど有って今日一日が楽しみだ。
さぁ、いい音も食事も準備万端整いました。何時お客様がいらっしゃっても大丈夫。
と言ってる間にまずはシンガーソングライター・JAZZピアノを始めた女性が水戸からいい音を聴きに来られた。いやご馳走になりにかも・・・・
その後もアコーディオン奏者、フリーカメラマン、建築会社の部長さん、作曲家、笛奏者、そのお弟子さんと次から次へと皆様こだわりの差し入れをお持ちになり、いい音を聴きながらカフェタイムからバータイムへなだれ込んでいきました。
ご招待して下さったKさん人脈の広さに驚かされる。
さて、問題の音についての皆さんの感想は、誰もがスピーカーが何処にあるのか探して「もしかしてコレー、こんなに小さいのォー」から始まり音のバランス、明瞭さ、ナチュラルさに驚き声を上げていました。
皆様方からのメールの一節を・・・
*いい音って、人生に不可欠です。金曜の夜は、まったく知らない方々の輪に突然お邪魔し、場を濁してしまったかと思いますが、私自身は、とてもおいしい食事とお酒と会話を楽しめました。
それは、いいスピーカーと、いい音楽があったからですね。
音楽が立体的に世界を作ってくれるので、その登場人物になれた時が最高に幸せです。(t.s)
*一昨日はすっごいNATURALでいい音のスピーカーを聴かせてもらいましてサイコーでした。雨の中でかけて行ってほんとよかったです!!
一緒に伺ったもう一人のさほど音楽ファンでもないし、ましてやスピーカの音質のよしあしになんて興味がないかたですが、そんなかたがKOIを聴いて「へえ~、なんかわかんないけどいい音~~!」と嬉しそうにいうんですから、コリャすごい!と思いました。(h.n)
*お二人のKoi話が、とても音楽に対する愛情に溢れ、楽しく興味深く聞けました。いつものあの会をより贅沢にして頂いたと思います(^-^)(m.m)
*おカネに余裕があればぜひワンセットほしいところですが・・・・現在購買力不足です(苦笑)。(n.h)
近いうちに第二弾を開催する約束し、後ろ髪を引かれながら23時過ぎに解散となりました。
外は雨上がりの冷たい風もなんだか清々しく感じられ充実した一日でした。
皆様、素敵な方々。楽しいお話とこだわりのお食事、飲み物をありがとうございました。
(2009/12/15 t.u.)
昨日、インターネットにhideさんの13回忌の事が出ていた。1998年5月2日に遥か宇宙に飛び立っていった彼は私の大好きなアーティストだった。
今から12年前、スポーツのミズノにいた私はミズノの転換期であったCMに絶対hideさんの曲が使いたかった。その当時X-JAPANが解散してソロとしてスタートをきったhideさんがどんな曲を創るのかワクワクしてもいた。
CM曲を心良く引き受けてくれたhideさんがあげてきてくださったRocket Dive、聴いたとたんに鳥肌が立った。
常々“ボーカルも楽器なんだ、日本語だって英語よりかっこ良く曲にのせられる”と言ってはばからなかった彼の言う通り、そこには洋楽なんかより全然かっこいいRocket Diveがあった。
そして忘れもしない1997年12月13日、いきつけの西麻布のバーRallyで飲んでいるとhideさんが来た。たまたま夜風にあたりに外に出た時にhideさんが煙草をすっていて“hideさんいい曲ありがとうございました”と言ったらはにかんで笑ってくれた。
実は氷室京介さんにも頼んでいたんだけどって隠していた事を話すと、“ヒムロックより全然かっこいいぜ!”ってまた笑い飛ばしてくれた。
それから約半年後、彼はいってしまった。この世界では収まりがつかなかったんだきっと!と感じた。
その彼の誕生日が12/13、その彼の後輩ギタリストASAKIさんが今KOIを使って曲創りをしてくれている。きっと宇宙でhideさんもKOIを聴いている事だろう。そのASAKIさんの誕生日も12/13、何か因縁を感じる。
(2009.12.15 s.o.)
以前はいろんなライブ コンサートに行ったけど、最近はほとんど行かなくなってしまった。好みはロックミュージックなので、身体や脳ミソを震わせるようなロックのライブを聴きたいと思っているんだけど、どっかにありませんか?
巷で洩れ聴こえてくる音楽には食指が全く動かず、70年代半ば以降音楽は(特にロックですが)つまらなくなったなんて、ブツブツ文句を言ってばかりいます。昔はよかったなんて言うつもりはなかったけれど、でも….。
二、三日キーンと耳鳴りを残してくれたJeff Beck、とんでもない滅茶苦茶なステージだったMountain、明らかに泥酔していた Clapton(初来日)、楽しませてくれたRoxy Music、レコードからは想像出来ないほど凄かったTangerine Dream、ワァーオJack Bruce、Pink Floydの演奏に飲み込まれてしまった冬の東京都体育館…限がない。
やっぱり昔はよかった!?でも、探せば今でもどこかにあるんでしょうか?
(2009.12.15 y.s.)
フルハイビジョン、ブルーレイと映像技術の超高密度化に伴って、この次の映像技術のターゲットは3D映像になりそうですね。
DVD発売の当時は、映像の高密度化と音声の5.1チャンネル化による臨場感の向上が売り物でしたが。
臨場感というと、奥行き感や左右の広がり、あるいは上下感など空間的要素と、左右や前後への音の移動感、つまりは静と動の3D化(映像も音も)をより高度化することになるようです。
あとは、映像の巨大化、音量の増加、重低音の強調といった「迫力」が重要視されています。
鮮明で巨大な映像に自動車やジェット機の移動音やエンジンの轟音、銃撃戦の音、ロケットの打ち上げ音が加われば本当にその場に引き込まれたような臨場感を味わうことができます。しかし、空間的要素や轟音を必要としない映像では臨場感は期待しにくいのでしょうか。
ところが、そのような派手さが無い映像の場面もKOI Tigerを用いて見ていると、いつの間にかその映像に引き込まれるように見てしまっているのです。まるでそこに臨場しているように。
その派手さが無い場面とは、例えば、「グラディエーター」の冒頭のシーンです。主人公が広い麦畑を歩いています。その上空をヒューッと吹き抜けていく風の音は、部屋の中を吹き抜けるようで、その風に煽られたか小枝にとまる小鳥が飛び立つその羽音が直ぐそこに聞こえます。
あるいは「プラトーン」も冒頭のシーン。新兵たちが夜のジャングルを行軍しています。そのジャングルの中で聞こえる鳥の声、兵士達が触れる草木の葉の擦れる音、途中にあったベトコンの死体から飛び立つ蝿の羽音は目の前を横切るようで、何か臭ってきそうです。
3D効果以上に、このような微かな音に臨場感を凄く感じてしまいます。微かな音こそ、その場の至近距離にいなければ聴く事のできない音だからでしょうか。
もう一つ、もっと古代の記憶があるのかもしれません。私たちの祖先は、草原や森林の中で獲物を待ち伏せしたり、危険な大型肉食獣をやり過ごすために息を潜めていた長い歴史を持っています。全神経を緊張させ、微かな物音から兆候を読み取って身体を反応させ、それが様々な感情と直結する長い時間を持っていたのではないでしょうか。
だとすれば、秘かな、微かな物音の精度こそが臨場感の基礎として欠かせないものかもしれませんね。オーディオマニアが非常に繊細な音に精度にも拘る背景には、このような本能ともいえるような、ヒトの進化の軌跡が横たわっているのかもしれません。
(2009.12.15 h.k.)
御宿に住まいを構えて4カ月、片道、1時間30分の通勤時間を除いて,ネガの材料はまだ見つからない。
空気良し、星が多く見え、魚は新鮮で旨く、音量(勿論KOI Tigerのスピーカー、笑)を気にせずおもいきり出し、ご近所から自給の干物、野菜を頂き、月の砂漠を散歩すれば・・・ストレスってなんだっけ・・・・
御宿の街灯には三日月とラクダに乗る男女の姿、何故って、この町が「月の砂漠」の故郷・・・
月の砂漠は、大正から昭和初期に、叙情画家として、また詩人として活躍した加藤まさをの作品で、御宿の砂浜の光景に発想を得て作ったとか。
御宿海岸の一角に、月の砂漠記念館が建ち、砂漠を行く王子様と御姫様が、太平洋の彼方を見つめている。
この月の砂漠に関して、ある中国残留孤児と、その夫となった中国人男性の悲しい記事を思い出す。
孤児となった女性は、日本人であることを隠し、中国人として育てられ、やがて結婚する。夫にも日本人であることを隠していたが、やがて夫にだけは打ち明け、夫婦だけの秘密として、文化大革命などの厳しい時代を、共に生きぬいた。
その女性が、日本人であることを忘れまいと、こっそり口ずさみ続けた歌が月の砂漠。
やがて、解放の時代になり、山口百恵の「赤い疑惑」の中で、その歌が流れた時、思わず涙しながら月の砂漠を歌い始め、驚く子供たちにも自分が日本人であることを初めて告げた。
子供たちの努力もあって、残留日本人と認められ、家族ともども日本に帰国したものの、夫だけは日本になじめず中国に帰国。
その後、妻は脳出血で倒れ、夫は妻の看病のため再来日したが、言葉と法の壁に阻まれ、日本に残ることが出来なかった。
現在、70歳を越えた夫は、ウルムチ郊外の家で、御宿町から贈られたラクダの人形を手に,呟いた。
「妻が私を忘れてしまう前にもう一度会いたい。私には、もう時間がないのです」
この「月の砂漠」は,7時、12時,17時に御宿の町中、時報変わりに流れている。
(2009.12.14 j.i.)
私の今はまっている曲にキューバの作曲家レイ・ゲーラの“そのあくる日”というものがあります。この曲はクラシックギタリス大萩康司さんにレイ・ゲーラが捧げた曲です。
前半のスローな出だしから始まり、中程からアップテンポになって最後はまた静かにリタルダントして、切れのいいレガートで終わります。
私のイメージでは、自分が死んだ次の日に世界は普通に動いているのだけれど、自分の魂が生まれた時から死ぬまでを表現している様に思えます。
家で心がすさんでいる時に弾くとなぜか心が落ち着きます。
皆さんも機会があったらCD(上のアルバム「Cielo」の1曲目)を聴いてみてください。
(2009.12.14 s.o.)
上の写真は3cmくらいの小さな貝殻です。分類上は法螺貝の仲間らしく、日本三美螺と呼ばれ右からジュセイラ、ショウジョウラ、バンザイラと呼ばれます。それぞれ樹精螺、猩猩螺、万歳螺ではないかと思っています。
この貝は紀伊半島以南の太平洋・インド洋の水深10mから20mのさんご礁に生息するらしい。
私はこの貝のことは35年ほど前に西表島で知ったのですが、西表では島の南西部にある現在は無人の鹿川という地域の砂浜にだけ嵐の後に打ち上げられるということでカノカ貝と呼ばれていました。
沖縄の島々はさんご礁のリーフに囲まれているので、そのリーフの外側に棲むこれらの貝はリーフの内側の砂浜には打ち上げられないのですが、鹿川の入り江の前はリーフが途切れていて砂浜から深い海底までが繋がっているらしいのです。そのため、嵐で海が荒れると海底に棲むこれらの貝が砂浜にまで打ち上げられるということです。
当時はその鹿川の廃村跡に、本土から来て一人で住み着いていた老人がいてこの貝を拾い集めていました。海岸沿い、山越え、或いは舟で時たまやってくる観光客にこの”貴重な”貝を高く売って、その収入で米などを入手していたようでした。それなりのルートでは1個数百円以内で買えるものではありますが、私もやっとたどり着いて数千円で手に入れました。
写真のものは鳥羽水族館にある寺町コレクションという有名な貝のコレクターの展示館附属のショップでもっと安く買い求めたものです。
長々と書きましたが、この文の本題は写真の貝のシッポのところについている丸い輪っかです。この貝をペンダントにするために歯医者さんの強力を得て取り付けた鎖を通すための輪なのです。
草薙君が裸になったという、あの公園の傍に30年あまり前にあった歯医者さんに相談したのです。貝のオシリの部分を歯科用のドリルで削って貰えないかと、恐るおそるでしたが。なんと先生は事情を聞いて、自分でやってみたらと使い方を教えてくれたばかりか、こういうことがやりたいんでしょうと、義歯製作用のワックスで輪を作ってくれたのです。
型をとって作っといてやるからまた来なさいと帰されましたが、次にいくと金で輪が出来ており歯科用の接着剤で貝に取り付けられた結果が上記の写真の状態というわけです。そして代金はとって貰えませんでした。六本木も長閑でしたね。
(2009.12.12 h.k.)
オフィスの窓から雨の星条旗通りを眺めていて、ふと古い昔のレコードを思い出した。「雨の小豆島」。
40年くらい前、三重県の四日市、20歳代中ごろ背伸びして、40~50歳代客ばかりのキャバレーに飲みにいっていた。そこにキャンペーンに来ていた新人ポップス演歌歌手から買ったレコードがこの「雨の小豆島」、どういう訳か今でも覚えている歌手の名前が「中原マキ」。
応援のつもりで買ったので、人気が出るといいなと思っていたが、その後テレビなどに登場したことがあるようには思えない。そのまま消えてしまったのだろうか。古い話だから検索してみてもかすりもしないだろうな。
ところがです。「雨の小豆島」がネットオークションに出ているではないですか。1,000円。
そして、それどころではありません。中原マキも健在なのです。ただし名前を変えて。「昔の名前で出て」はいませんが、もっと大きな名前になっていたのです。
演歌歌手中原マキはジャズシンガーに大変身していました。そして、そのジャズシンガーの名は、あ、あの映画「イノセンス」の主題歌「フォローミー」を歌っている伊藤君子だったのです。
あのレコードどうしたかなぁ。大事にとっておけばよかった。
(2009.12.11 h.k.)
明日は、レコードでJAZZを聴くと称して、カフェタイム、バータイムと二部に分けて約30人程が集まる忘年会。
ECO関連のセミナーで知り合った方のご招待を受けまして、好きなJAZZを聴いて、じゃんじゃん呑んで、いい時間を過ごすつもりです。
昼には美味しい手作りのお蕎麦をご馳走して頂けるし、バータイムにはこれまた濁り酒を用意しているとのお話。
ということで、皆さんにJAZZをレコードプレーヤーとTigerを繋いで聴いて貰いましょう。
雨が心配ですが、部屋の中は熱気ムンムンでしょう。
小さなダンボールに入った「Tiger」をガラガラと引っ張って行ってきまぁ~す。
当日の模様は後日、乞うご期待。
(2009.12.10 t.u.)
ベストポジション。オーディオのリスニングポジションの話題ではありません。
弊社オフィスの場所のことです。弊社を訪れたお客様が一様に、いい場所にありますねと仰います。
東京都港区六本木7-21-22、1997年9月にオープンした当時は、防衛庁正門の向かい側を入り、突き当りの東京大学生産研究所・物性研究所を左方面に迂回する星条旗通りに面した人通りの少ない場所でした。
その後六本木ヒルズが誕生し、続けて東京ミッドタウン、国立新美術館が建設されて注目の3スポットに囲まれる形になりました。六本木ヒルズには森美術館、ミッドタウンにはサントリー美術館がありますので国立新美術館を含めた人気の3美術館に囲まれる文化的スポットでもあります。
かつての人通りの少なかった星条旗通りも美術館を目指すご婦人たちで賑わって参りました。
2階に弊社が入ったセイコー六本木ビルの入り口にはささやかながらKOIご試聴の案内をお出しし、美術館帰りのお客様にもご試聴頂いております。美術と音楽と、両方を楽しみに六本木に。そんな名物スポットにしていきたいですね。
(2009.12.10 h.k.)
友人がKOI Tigerを譲り受けたという方から、感動的?なエピソードを伺った。
その方の友人にKOI Tigerを譲ったという元オーナーは、1mが?万円というコードを使うような、かなりのオーディオマニアで、お部屋にはクラシック用とジャズ用に別々の高級システムをお持ちらしい。
そこにKOI Tigerが届いて聴き比べをしてみたところ、KOI Tigerの方が両システムより勝っているということになってしまった。
これでは大枚の費用を掛け長年愛用してきた愛機が用いられなくなって焼餅を焼いてしまうと、夫人が両先輩機種を不憫がられたのだそうです。
その結果、涙を呑んで新米の方のKOI tigerをネットオークションに出そうということになり、それを聞いた友人が、そんな素晴らしいものならと手に入れたという経緯だそうです。
KOIを手放されたのは残念ですが、友人が使ってくださっているのだし、KOIの音のよさを示す話題ではあります。しかし、お使いの機種を知りたいなとか、いろんな形でKOIの話題が広がっていくなとかいろいろ考えさせられる話でした。
(2009.12.09 h.k.)
最近、色々な所でKOIを知ってるとかKOIのスピーカーは凄い、友人が持ってるよ、この前買ったよ、なんて聞くことが多くなった。地道に音を聴いてもらうプロモーションをしてきた成果が出てきたと思うと嬉しくなる。
(2009.12.09 y.s.)
このサイトの内容は、第一にKOIのユーザーの方々のお声、第二に日本の社会・マーケットとKOIとの間のふれあいとしてのニュース、第三にメーカーとしてのKOI,Inc.からの製品情報・技術情報などが中心になっています。
輸入総販売元の株式会社インターヴォイスについては「Company」で紹介されていますが、やはり企業の会社概要という形式的なものである点は否めません。
そこで、会社を具体的に構成するスタッフの日常からこぼれ出すつぶやきを少しづつご紹介していってみようと思います。目的も魂胆もあるわけではないので、 どんなページに育っていくのか判りません。いつの間にかこのページらしい色彩が生まれ、サイト全体と調和してくれればいいなと思っています。
来年は寅年。KOI Tigerの年だと勝手に期待しているのですが、自宅が葛飾柴又、寅さんとの縁も少々。それなら歳が開けてからスタートしたほうがいいのでしょうが、思いついたが吉日、ウォーミングアップを兼ねてスタートしてしまいました。
(2009.12.08 h.k.)