先日の「アド街ック天国」を何気なく見ていると、かつてあった中島飛行機が紹介され、その中島飛行機で戦闘機「隼」を設計していた故糸川英夫博士が紹介されていた。
第二次世界大戦後の日本のロケット研究は博士のペンシルロケットから始まっているが、その研究の場は、現在僕たちのオフィスの前の、いま政策研究大学院大学とその向こうの国立新美術館の敷地となっている場所に東京大学物性研究所とともにあった東京大学生産技術研究所であった。
先日、博士が主宰した組織工学研究所のことに触れたが、博士の足跡はもっともっと身近に、目の前にあったんだ。
政策研究大学院大学と国立新美術館の間に残された生産技術研究所の建物の一部
(2010.3.10.h.k.)



