和歌山県に伝わる民話に「命乞いに来た鯉」という話がある。
わがままな大殿様が、川の淵の主である大鯉を食べてみたいので生け捕りにせよと庄屋に伝えた。
明日は淵に網を入れるという番に庄屋の家に美しい娘がやってきて、淵に網をいれるのをやめてくれないかと頼む。
庄屋が断ったところ娘は出された草もちを食べて帰った。そして、翌日取れた大鯉の腹を開くと、中から草もちが出てきたという。
命「乞い」と「鯉」という同音が意識されているのではないだろうか。
大東市の民話には「鯉の散らし紋」という話がある。
漁師内助が一匹の鯉を長く可愛がって18年も育てていたが、女房をもらったところ、内助の留守中にうつくしい女が女房を訪ねて来て、腹には内助との子がいると、内助と分かれて里に帰るように迫る。
内助は心当たりがないと取り合わなかったが、その夕暮れ船出すると川が荒れ、大鯉が舟に飛び乗り口から子の形のものを吐き出したという。
この話は「鯉」の「恋」とでも言えようか。
飛騨の民話には「水呼ぶ鯉」の話がある。
毎年、雨の降るたびに益田川が荒れ。、久津八幡宮の拝殿まで押し流されそうな勢いだった。長老の弥作じいさんが、拝殿に彫った鯉が水を呼ぶのではないかという。
この鯉を彫った飛騨の匠和田さまに相談すると鯉を封じる矢を彫り刻んでくれ、それを鯉に向かって取り付けると大水の心配は無くなったという。
生きた魚のように水を求める鯉の彫り物という、飛騨の匠を称える伝承であるが、「鯉」と水よ「来い」という音韻の遊びも含んでいるのだろう。
川口市には「片目の鯉の伝説がある。
目を患った人が薬師様に平癒を祈り、礼に放った鯉が片目になるという。
これも、現代的にいうと眼病治療のための栄養源というような面も感じるが、災厄の身代わりを鯉に託する気持ちが、平癒を「請い」願うことと「鯉」の音韻の共通性と結び付いているのではないだろうか。
「鯉」「乞い」「恋」「来い」「請い」とKOI に連なる言葉に、つい「濃い」思い入れを抱いてしまうのは避けようもない。
(2010.3.4. h.k.)



